セーラの3ヵ月間の育児休業はあっという間に終わってしまった。ところが息子の託児所がまだ決まらない。セーラが休業を延長することはできなかった。かといって復職後30日以内に仕事を辞めれば、雇用主が保険料金の負担分の返還を求める恐れがあった。

 セーラと夫は、火曜日と木曜日は自宅で仕事をし、電話会議や仕事の合間に、授乳やおむつ替えなどの息子の世話をこなした。両親や友人が助けにきてくれることもあった。

 月曜日、水曜日、金曜日は、会社に出勤した。最初の2週間は、近隣に住むセーラの母親が赤ん坊の面倒を見てくれた。3週間目からは、夫の母が遠方から飛行機で駆けつけて世話をしてくれた。息子はまだ4ヵ月だったけれど、セーラたちにはそこまで計画するのが精一杯だった。

 職場復帰により、セーラは新米ママという肉体的な負担を抱えつつ、ハイペースな職場環境に迅速に適応しなければならなかった。上司は彼女が搾乳できるように、鍵つきの個室をくれた(それまでセーラはキュービクルで仕事をしていた)。

 公正労働基準法(FLSA)第7条は、「事業者は従業員に合理的な休憩時間と、授乳のために、仕事仲間や公衆の目にさらされず、また侵入されることのない、トイレ以外の場所を与えること」を義務づけている。だが、セーラは職場のトイレや倉庫で搾乳している女性たちの話を聞いていたから、上司の心遣いに感謝した。

 それでも、最初の1週間は大変だった。以前よりも仕事のスピードはアップしていた。セーラがいない間に組織変更があり、彼女には新しいタスクが追加されていた。同僚たちは、彼女の復帰を「最高のタイミング」だと言ったが、セーラは途方に暮れて筆者にメッセージを送ってきた。「いま、部屋に鍵をかけて、泣きながら搾乳を始めるところ」

 私たちはそのあと、電話で話をした。「出産は私の選択であって、私が疲れているのは、彼らのせいではないのはわかっている」とセーラは言った。でも、彼女はフラストレーションを感じていた。疲れ果てて、1時間ほど早く退社すると、「チームプレーヤーではない」と同僚たちに言われることに、いら立ちを覚えていた。そんな状況についていけるのか、あるいは自分がついていきたいと思っているのか、わからなかった。

 奇跡的に、息子が4ヵ月を迎える直前に、第1希望の託児所に空きがでた。料金は月1550ドル(年間1万8600ドル)だが、中心部で職場に近い場所に比べれば手頃な料金だし、託児所が見つかっただけでもラッキーだったと、セーラは言う。米国には年齢にかかわらず、政府が支援する託児システムは存在しないし、民間の託児所は料金も質も大きなばらつきがある。

 でも、数ヵ月後にどうなっているかはわからないと、セーラは言った。彼女と夫はもう一人子どもが欲しかったが、さらなるストレスと費用が心配だった。職場では、同僚とクライアントにできるだけ好印象を与える努力をしていたが、上司と同僚の期待に応えられていない気がした。

 転職するか、子ども(たち)が小学校に上がるまで、仕事を辞めたほうがいいのだろうか――。セーラはいまの仕事が好きだったから、異動や転職は望んでいなかったけれど、うまい解決策は見当たらなかった。