まず、生物学の観点から考えてみよう。

 不安とは、「差し迫った出来事や結果が不確かなものについて、悩んだり、緊張したり、心配する感情」と定義される。そうした感情がいま、社会的なレベルで高まっているのは、もっともである。

 生物学的に「サバイバル脳」は、食べ物と危険の両方を探す役割を担っている。私たちの祖先が新しい食糧源を発見したとき、胃から脳に一連のシグナルが送られ、ドーパミンが分泌した。そして、将来見つけるのに役立つよう、食べ物が存在する場所の記憶が形成された。

 危険についても同じことが言える。祖先たちが初めての場所に行く際は、自分が食糧源にならないように、目を凝らして、動くものを警戒する必要性があった。不確実性が彼らを助け、それゆえ人間は種として生き残っているのだ。

 しかしながら、不安と気晴らしの関係を理解するうえで重要な点がある。その場所をよく知れば、そこが危険であろうとなかろうと、不確実性が低下するということだ。つまり、私たちの祖先は一つの場所を繰り返し訪れることで、緊張を緩和することができた。

 このことが今日、そしてあなたにとって何を意味するのか。それは、確実性が高まると、脳のドーパミンの使い方が変わるということだ。たとえば、物を食べたり、危険な場所を見つけたりしたときにドーパミンを放出するのではなく、そうした出来事を予期したときに放出するのである。

 ドーパミンは、一般的な文献で呼ばれているような「快感分子」とはほど遠い。行動がいったん学習されると、ドーパミンは一貫して、行動したいという渇望や衝動と関連づけられる。

 進化の観点から、これは理にかなっている。先祖たちは一度食糧源の場所を知ったら、そこへ行って食糧を手に入れるよう、駆り立てられる必要があったからだ。

 現在のパンデミックに対して、私の患者たちはまったく同じことをやっている。依存しているものが薬物でも行動でも、特定の行為を結果と関連づけているのだ。

 退屈や不安を感じると、お菓子を食べる、ニュースフィードをチェックする、ソーシャルメディアを利用するといった衝動に駆られる人は共感できるだろう。胃や胸に不快感が生じ、何かがおかしいと気づく。脳が「何かをやれ!」と命令し、特定の行動、つまり気晴らしをすると気分がよくなる。

 大事なことをやるべきとき、ユーチューブでかわいい子犬の映像を(繰り返し)見るのは、奇妙な選択に思えるかもしれない。しかし、あなたの脳にとってそれは当然の選択で、「サバイバルの基本」である。

 気晴らしをすることは、古代に危険や未知のものを回避していたのと同じなのだ。不確実性は不安を生じさせ、不安は何らかの行動を促す。

 理論的には、あなたは情報を集める行動に駆られるが、パンデミックに関する新しい情報が得られない場合には、ニュースをチェックしても気分はよくならない。すると脳は、気晴らしをすることが、かなり確実な代替手段であるとすぐに学習する

 その際の問題は、多くの場合、気晴らしのための行動が健康的でないか、役に立たないことだ。永遠に食べ続けたり、酒を飲み続けたり、ネットフリックスを見続けることはできない。実際、それをやるのは危険である。脳がそうした行動に慣れてしまい、最終的にいつもの成果を得るために、もっとやらなければならないからだ。

 サバイバル脳はあなたを助けようとしている。だが残念なことに、断ち切ることが困難な習慣や、依存にすら向かわせていることに、自分では気づいてない。

 どうすればいいのだろうか。