●時間をゆるめる

 予定表から遠ざかる。余白があったら、そのまま何も入れずに真っ白にしておく。書くための時間、仕事に集中する時間などと書き込まない。空いている時間を、メールや、やることリストで埋めない。時間から離れる時間を自分に与え、のらくらすることを自分に許す。

 娘と食糧の買い出しに行ったときのこと。彼女はある道を通って家に帰りたい、と言った。「その道だと2倍時間がかかるじゃないか!」と抗議した私に、娘は「だから何? だって、その道は美しいのよ」と答えた。その道で帰ってみたら、彼女の言う通り、美しかった。

 ●思考をゆるめる

 心がさまようままに、さまよわせよう。ジョギングをするときには、ポッドキャストや音楽を聴かず、ただ走る。洗濯物を畳んでいるときは、ただ洗濯物を畳む。畳んでいる瞬間すべてに注意を払う「マインドフルネス」だと言っているのではない。むしろ、真逆で、マインドフルになろうとしない。

 マインドフルであろうとすることは、さらなるコントロール、プレッシャー、自分への要求となる。代わりに、心が行きたいところには、どこにでも行かせてあげよう。そうしたら、心がどこに行くか気づくかもしれない。気づかなくたっていい。

 ●人間関係をゆるめる

 人に会うのが疲れたと感じたら、会わないことを自分に許そう。私には一緒に走ったり会話をしたりする素敵で思いやりのある友人たちがいるが、彼らには「君たちが大好きだけれど、いまは一人で走りたい」という真実を伝えている。そして、友人はわかってくれている。もし人と一緒にいたいと感じたら、よい友人であろうと無理することなく、好奇心を開き、弱い自分のままで一緒にいるようにする。

 友人の話を聞いているときは、自分の判断を持ち込まず、解決しようとせず、アドバイスをしようとしない。自分がそこいるだけで十分だと信じる。

 そして自分が話すときは、ただ聞いてほしいと相手に伝える。「アドバイスはいらない。いま自分に何が起きているのか聞いてもらいたいだけなんだ」と伝えたらいい。あなたがそう言うことで、何かアドバイスをしなければいけない、わかっていなければいけないというプレッシャーから、相手を解放してあげることができる。

 自分の時間、思考、そして人間関係への要求をゆるめると、おのずとスピードが落ち、負荷が減り、感情が立ち上がる余白ができる。もしかして涙が出るかもしれない。笑うかもしれない。退屈を感じたり、嫌な気分になったりするかもしれない。

 何もできていないことをストレスだと感じ、また、周りの人たちが多くを生み出し、人脈を築き、自分を売り出しているのを見て、焦りを感じるかもしれない。喜びを感じるかもしれないけれど、それすらも怖いことだ。

 何かやることで自分を走らせ、抑えつけ、否定し、気を散らすことなく、勇気を持ってすべてを感じる。あなたの身体、心、精神が再構成する余地を与える。それが何なのかはわからなくても、何か大切なことが起きていて、そちら側にはよいことが待っていると信じる。何かが起きることを強制はできない。

 でも、何かが立ち上がってくるのを妨害するのは簡単だ。いまのように誰もが喪失を経験している中で、「何もしない」ことを信じるのは難しい。リスクがあるようにも感じる。「何かをやる」という私たちの癖は、あまりにも強い。

 私も自分の中に、これまで自分を安心させてきたやり方にしがみこうとする力が働くのを感じる。でも、一方で、これまでの安心を握りしめる指を一本ずつゆるめ、手を離し、来るものに身を委ねようとしている自分も感じている。

 これを読んでいるあなたも、私と一緒に、少しだけここに立ち止まり、いまの自分、そしてこれからなっていく自分を発見する時間と恵みを自分自身に与えられることを、心から願っている。


HBR.org原文:Let Yourself Be Unproductive. At Least for a Little While, June 26, 2020.


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