
新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの暮らしは一変した。パンデミック以前のふつうの生活に戻りたいという声も聞こえるが、富裕層が富を独占し、人種差別が黙認される「ふつう」を取り戻す必要はないはずだ。コロナ禍は重大な試練をもたらした一方、資本主義が抱えるさまざまな問題を認識する機会にもなっている。企業は資本主義を問題を深刻化させた当事者として、その再構築に取り組む責任がある。
いつか「ふつう」の暮らしに戻れる日が来るのだろうか――最近、ある友人にこう言われたことがある。
これは、いま誰もが胸に抱いている問いだ。新型コロナウイルスの感染拡大を境に、繁盛しているレストランで食事したり、友人とハグをしたりするなど、それまでまったく当たり前だった行動が途方もなく贅沢なものになったように思える。
私も、レストランでの食事や友人とのハグが再びできるようになる日を待ちわびている。けれども、それ以外の面では、昔のような時代が二度と戻ってきてほしくない。
半年前の「ふつう」とは、米国の最富裕層1%が国富の40%以上を保有し、所得上位5%の人たちが総所得の約3分の1を手にする状況のことだった。そして、40%の米国民が400ドルの出費をまかなうために借金をしたり、所有物を売ったりしなくてはならない、あるいは、そもそも400ドルを調達できないという状況のことだった。
半年前、米国の民間部門で働く人の4分の1近くが病気休暇を1日も取得できず、黒人に対する制度的抑圧と排除が容認されている状況が「ふつう」だった。
世界経済の脱炭素化が遅々として進まず、破滅的な気候変動のリスクが生じていることをあまり問題と考えない状況が「ふつう」だった。
政治の世界に巨額の資金が流れ込み、政治がもっぱらインサイダーのために行われていると米国民の70%が思っていて、圧力団体が政策を動かしている状況が「ふつう」だった。
このような世界に戻りたいとは、私は思わない。
私は、資本主義を再構築したいと思っている。少なくとも既存の資本主義を――あまりに短期志向が強く、企業が社会や社会制度の健全性に配慮する必要性を認めないタイプの資本主義のあり方を――見直したい。
ビジネスと社会の両方が将来にわたって栄えるためには、それが最善の方法だからだ。