コロナ禍がもたらした試練とチャンス
資本主義は、人類が生み出した屈指の発明の一つだ。繁栄と機会とイノベーションをもたらすうえで、資本主義に勝る仕組みはない。いま私たちが直面している問題も、資本主義の仕組み抜きで解決することは不可能だ。
不平等の問題を解決するためには、良質の雇用が――それも大量に――なくてはならない。また、気候変動の問題を解決するには、(ほかの取り組みと並行して)世界のエネルギー、輸送、農業のシステムを大きく転換する必要がある。自由市場が生み出す猛烈なプレッシャーがなければ、そのような目覚ましいイノベーションを大々的に推進することはできない。
こうしたことを考えると、新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちに途方もない試練をもたらしていると同時に、新たな機会もつくり出している。
コロナ禍が生み出した試練は非常に大きい。50万人以上が死亡し、世界経済が激しい打撃を被り、何千万人もの人が職を失った。また、有色人種はことのほか深刻な経済的不利益を被っている(5月はじめの時点で、コロナ禍により失業したり収入が減ったりした世帯は、白人世帯では全体の38%だったのに対し、中南米系の世帯では61%近く、黒人の世帯では44%に上っている)。
そして、ジョージ・フロイド、アフマド・アーベリー、ブレオナ・テイラーをはじめ、多くの人の命が奪われたことをきっかけに、人々の怒りが高まり、正義の実現を求めるデモが起こっている。2021年の世界は、2019年に比べて貧しくなり、分断が深まり、恐怖が充満することがほぼ避けられない。
その一方で、コロナ禍は新しい機会を生み出した面もある。これをきっかけに、社会の問題点の数々が明確に見えてきたからだ。
不平等は、もはや抽象的な概念とは言えなくなった。多くの「エッセンシャル・ワーカー」たちが体調不良でも出勤しなくてはならないのは、否定しようのない現実だ。蓄えもなく、有給休暇も与えられていないため、そうせざるをえないのである。
それに、人種差別が公民権運動で解消されたわけではなかったことも、改めて浮き彫りになった。また、経済活動が大幅に減速して、空がきれいになった。現時点での研究によれば、化石燃料消費量の減少が人命を救う効果を持ちつつあることもわかってきた。つまり、空気を汚すエネルギー源に頼り続けることのコストが次第に際立ってきたのだ。
州政府間で重要な医療機器の争奪戦が繰り広げられる一方、連邦政府も新型コロナウイルスへの対応に失敗したことで、米国政治が機能麻痺に陥っていることもはっきりした。
コロナ禍で私たちが思い知らされたのは、社会全体が一種の運命共同体であり、最貧層の人たちの幸福度が、すべての人の幸福度を大きく左右するということだ。未来のために計画を立てることが非常に重要であり、状況が落ち着いたときには、汚い言葉ではなく、国民のニーズに敏感で能力の高い政府が必要だということもわかってきた。
また、本当に行わなくてはならないことがあるなら、私たちはそれを実行できることも明らかになった。抜本的な変化は、もはや実現不可能なものとは思えなくなったのである。
状況はもっと改善できる。私たちはすでに、いまよりも公平で持続可能性の高い資本主義を築くために必要な資源と知識を持っている。だが、それを実現させるためには、(米国では特に)企業がみずからの果たすべき役割について認識を改めて、政府のあり方についての見方も変えなくてはならない。