危機時には形式知が役に立たない、実践知が必要だ

──実践知とは何でしょうか。
実践知とは、経験から得られる暗黙知であり、賢明な判断を下すことや、価値観とモラルに従って、実情に即した行動を取ることを可能にする知識のことです。ギリシア語ではアリストテレスの提唱した「フロネシス」とも呼ばれます。
詳細は本書に譲りますが、このフロネシスには大きく2つの要素があります。一つが共通善(Common Good)です。個人や組織にとってではなく、社会全体のグッドネスを追求することが欠かせません。リーダーは、共通善を拠り所として意思決定をすべきだと考えています。
そして、もう一つが「いま・ここ」(Here and Now)という発想です。不確実性が高まる時代においても、いま・ここに集中して、リーダーは判断を下すのです。
東日本大震災や新型コロナウイルス感染症等、想定外のことが起きたとしても、その時々で賢明な判断を行わなければならない。そのためには形式知だけでは役に立たない。実践知が求められているのです。
──コロナ禍の中でこそ、社会と組織と個人とをつなげて、社会全体にとってよい目的を共有するということですね。いま注目されているパーパスの議論と近い印象を受けます。
それまでの戦略論は、ハーバード大学のマイケル・ポーター教授の考え方が主流でした。それは外部環境(特に業界構造)を分析して、他社と比較して、自分の立ち位置を決める。アウトサイド・インの方法論です。
「オリジナルの戦略がどこから生まれるのか」という質問をよく受けますが、一般のコンサルタントなら大量のデータを分析して「こういう理由で、御社の独自のポジションはこうです」と答えるでしょう。
それに対して、我々の考え方はインサイド・アウトです。個人の意思が原点であり、企業でいえば理念からスタートすべきだと考えています。自分の意思や価値観、グッドネスをベースに戦略を組み立てていくべきであるということです。
よりよい社会のためにという高い目的に向けて行動する。すると、知識がスパイラルに波及して関わる人もどんどん増えていきます。
それまでの戦略論がどちらかというと、静的な捉え方をしていたものに対して、我々の戦略論は動的に捉えているのです。
知識は陳腐化するが、知恵は残り続ける
──理念からスタートする戦略論のポイントとして「ライバルに負けない未来を築ける」や「社会と調和できる」「高次の目的、共通善を追求する」など5つを挙げられています。従来の戦略論と比べて、抽象的なために、疑問を持つ方もいるかもしれませんがいかかですか。
近年、オーバープランニング、オーバーアナリシスの世界になってしまったと認識しています。人工知能(AI)やビッグデータを否定するつもりは毛頭ないのですが、その限界も見えています。
面白いことに、知識というのは誕生した瞬間に陳腐化が始まります。また、いくら3年、5年計画を綿密に立てても、感染症や震災などで世の中の前提が大きく変わってしまうことを我々は経験していますよね。
その点で、本書では計画よりも実践を重視しています。それには、サントリーのように「やってみなはれ」という姿勢がとても大事です。アクションを取ることで、陳腐化しない知恵を身につけることができるからです。
──知恵とはどのようなものでしょうか。
難しい話ではありません。我々は、英語ではMother's Wisdom、日本語では「おばあちゃんの知恵袋」と呼んでいます。
皆さんも、子どもの頃に何度も教えられて、身につけた基本的な考え方はないでしょうか。
例えば「うそはつかない」や「人に迷惑をかけない」。こうした教えは、自分の価値観の土台になっており、普遍的であり、その社会で生きていくうえで重要なものばかりです。
単なる知識ではなく、母親や祖母たちから社会を生き抜くうえで身につけてきた知恵。これを身につけることで社会における共感力を養ってきたとも言えるでしょう。