睡眠不足の脳に
何が起きているのか

 具体的な話に入る前に、まず眠っている時の脳の状態を簡単に説明しておこう。

 脳は、それ以外の身体器官が待機状態になっている間も活動を続け、言わば「オンライン」状態を維持していることが、複数の研究によって示されている。スマートフォンのように、夜は見ていないからといって、その間、働いていないわけではないのだ。

 睡眠中の脳の主な機能は、科学者がよく「脳の老廃物(mental wastage)」と呼ぶ、日中にニューロンの間に蓄積された毒素を排出することである。この老廃物は、短期的にも長期的にも正常な認識機能を損なわせる可能性がある。

 脳が老廃物を廃棄するのは、より重要で新しい学習経験を取り込むスペースを空けるためだ。パソコンの「自動削除」と考えるとわかりやすい。つまりゴミ箱の中身を永久に削除してスペースをつくり、処理速度を高めるようなものだ。

 老廃物の排出は、基本的な学習記憶機能を支えるほか、気分や感情、性欲をコントロールするカギでもある。言い換えると、人間にとって睡眠は給油のようなものだ。「睡眠時間を削ってもっと働けば、生産性が高まる」という発想は、給油を省けば目的地に早く到着できるという発想と同じくらい論理的、つまりは非論理的なのだ。

 極度の睡眠不足は、心身と仕事の両方に、以下のような影響を及ぼす。

 ●簡単なことでもやり方を忘れる

 たった一晩の睡眠不足でも、脳の中で記憶や学習を司る海馬の正常な働きを損なうには十分だ。海馬は、情報を短期的および長期的に保持するうえで、中心的な役割を担う。また、方向感覚や空間認識能力も左右する。これについては、ロンドンのタクシー運転手の海馬が普通よりも大きいことを明らかにした有名な調査がある。

 睡眠不足になると、忘れっぽくなったり、集中できなくなったり、数字を覚えられなくなったり、あるいは事実認識が困難になったりする。いずれも、仕事のパフォーマンスに深刻な影響をもたらす問題だ。オートパイロットモードを使ったり、反復作業やルーチン業務をこなしたりしているだけなら別だが、比較的簡単なタスクであっても、パフォーマンスが低下している感覚はあるだろう。

 睡眠不足が二日酔いとよく似ていると感じるのは、こうした理由による。集中することが苦になり、それまで当たり前にこなしていたタスクにも、かなりの集中が必要になる。

 ●長期記憶が損なわれる

 前述したように、睡眠によって脳は、代謝老廃物を排出する時間を与えられる。老廃物の中には、蓄積されると脳細胞の間にプラークを形成するタンパク質もある。睡眠不足は、短期的には知能指数(IQ)の低下、長期的にはアルツハイマー病に関係すると考えられている。

 86の科学的研究を検証した結果、睡眠時間が長い人のほうが、敏捷性、学習効率、集中力が高い傾向にあることが明らかになっている。これは、睡眠時間が長いほうが、老化に伴う認知能力の低下が緩やかであることを説明している。

 睡眠衛生、すなわち睡眠の質と量を高めるための行動や環境の改善は、勉強や仕事のパフォーマンスの向上、そして高い知的発達につながる。複雑な仕事であるほど、学習や論理的思考、新たな問題の解決が求められ、睡眠が質と量ともにより必要になるということだ。