
米国に悲劇をもたらした連邦議会議事堂襲撃事件は、SNS上で大統領選挙に関する陰謀論やフェイクニュースが拡散したことで発生した。SNSのようなプラットフォームはビジネスチャンスや富を生むと同時に、ユーザーが悪意を持って利用すれば重大な問題を引き起こしかねない。デジタルプラットフォーム企業は、政府による規制を待ち、それに従えばよいのだろうか。筆者らは「コモンズの悲劇」を招かないために、また政府の介入を未然に防ぐためにも、自主規制を行うべきだと主張する。
デジタルプラットフォームは社会にどのような影響を及ぼしうるのか。その最悪の例として世界が目の当たりにしたのが、2021年1月6日に起きた米国連邦議会議事堂での大失態である。ドナルド・トランプの支持者らが選挙人投票の承認を妨害しようとしたという事実にとどまらず、この嘆かわしい事件は大部分において、SNS上で扇動されたものだ。
これまでツイッターとフェイスブックは、陰謀論とフェイクニュースに関する投稿の検閲に及び腰であった。またデジタルプラットフォームは、1996年に制定された通信品位法230条――第三者から提供されたコンテンツに関して免責を与える条項――の恩恵も受けてきた。
しかし、選挙で不正が行われたという言い掛かりを含む諸々のフェイクニュースをきっかけに、主要SNSプラットフォームは少し前から一部の投稿に対し、信頼性や真実性の欠如を警告表示するようになり、一部動画の削除も開始した。
1月6日の暴動後、ツイッターとフェイスブックは、暴力と犯罪行為の助長およびサービス利用規約の違反という理由で、トランプのアカウントを凍結した。その代替SNSとして支持者らに使われるパーラーについても、同様の理由でアップルとグーグルが自社のアプリストアから削除し、アマゾンもホスティングサービスを停止した。
いったいなぜ、事態はこのような混乱へと至ったのだろうか。
デジタルプラットフォームは、インターネットの登場以前には不可能だった方法でユーザーとほかの市場参加者をつなげるビジネスとして、高い利益を上げることができる。成功すればネットワーク効果と呼ばれる強力なフィードバックループを生み、広告を売ることでそれらを収益化する。
だが、米国連邦議会議事堂で起きた事態は、デジタルプラットフォームがいかに諸刃の剣となりうるかを浮き彫りにしている。それらの企業はたしかに、数兆ドル規模の富を生み出しているのは事実だ。しかし同時に、フェイクニュースやフェイク品の拡散、政治目的によるデジタルコンテンツの改ざん、そして選挙やワクチンなどの公衆衛生事項に関する危険なデマの流布も助長している。
ここに明らかな社会的ジレンマがある。デジタルプラットフォームは善だけでなく悪にも使えるのだ。
解決策は何だろうか。プラットフォーム企業は、政府の強圧的になりかねない規制を待ち、守勢に回っていればよいのか。それとも、機先を制して動くべきだろうか。
政府は否応なく監督姿勢を強めてくるはずだ。とはいえ、プラットフォーム企業はすぐにでも、もっと積極的に自主規制を行うべきだと筆者らは考えている。