的確な判断を下すために
自分の確固たる立ち位置を定める
河合:土井さんはこれまでに2度、スペースシャトルの搭乗を経験されました。私たちの中には土井さんは日本を代表して宇宙に行っているという感覚がありましたが、日本人であることを意識されていましたか。
土井:ふだんは意識しませんでした。宇宙飛行士の中にもミッションスペシャリストやペイロードスペシャリストなど種別があり、個人の特性や得意分野も考慮しながら、それぞれの任務が明確に割り振られます。その際、日本人や米国人という基準では判断されないので、自分の国籍を意識することはありません。
河合:個々の専門性や得意分野が重視されるのですね。
土井:そうですね。ただ、2回目のミッションの時には、日本人であることを意識する瞬間もありました。その時はエンデバー号に搭乗して、日本実験棟「きぼう」のモジュールを宇宙に持っていたのですね。
私はその時、クルーの代表として「きぼう」の技術試験やレビューの場にすべて参加しました。日本の内部事情もよく知っていることも考慮されて、その仕事に割り振られていましたし、日本との関わりが非常に多く、日本の代表としての責任感を持っていました。
ただし、私はJAXA(宇宙航空研究開発機構)の宇宙飛行士ですが、NASAの宇宙飛行士室に所属しているので、すべての命令はNASAから来ます。そのためJAXAのレビューに参加する時でも、NASAの宇宙飛行士室の代表としてコメントしていました。
河合:JAXAとNASAをどちらも代表する立場になると、難しいこともありそうです。
土井:そうですね。実際、JAXAとNASAの宇宙飛行士室の板挟み合うという経験を何度もしました。
たとえば、日本での設計段階でモジュールの性能をすべて見通すことはできません。宇宙飛行士が宇宙空間で使うための利便性や安全性を向上させるという観点から、どうしても設計変更を要求しないといけないことが出てきます。ただ、設計変更を行えば1回で億単位が動くので予算が大きく変わりますし、当然時間もかかる。JAXAとしては変更を最小限に抑えたいので、「設計変更を要求するかしないか」という板挟みになるのです。
そこでは自分がどの立場に立ち、何をすべきかが問われました。その時は、自分がどこの国の所属であるかではなく、宇宙飛行士の代表として、もっと言えば地球人として判断を下すことを最優先にすると決めていました。日本の事情はよくわかりますし、お金や時間がかかることは極力やりたくない気持ちも理解できますが、そこは譲らない。地球人としての立場に立つことで、その問題をクリアしてきました。
河合:地球人という俯瞰的な立ち位置で考えることで、自分の価値観がはっきりとするということですね。
土井:はい。こうした考え方は、宇宙飛行士という特殊な仕事だけでなく、すべてのグローバル人材が大切にすべきことだと思います。自分の確固とした立ち位置を持たなければ、的確な判断を下せないので仕事が上手くいかず、ただストレスだけを受けてしまいます。さまざまな板挟みに遭うグローバル人材は、特に自分の立ち位置をはっきりさせておくべきではないでしょうか。
河合:たしかに海外で勤務する人たちは、似たようなジレンマに直面します。本社や自分の所属のどちらかの利益を優先することが多いですが、自分の所属を超えた立場で物事を考えるという視点は、非常に重要だと思います。
国家や巨大組織が交渉相手でも
自分の立ち位置を見失ってはいけない
河合:土井さんはその後、国連宇宙部の国際公務員としてオーストリアのウィーンで働き始めて、宇宙空間平和利用委員会の課長として宇宙技術を発展途上国の人たちに使ってもらえるようにプロモーションする役割を担われていました。国も組織も職種も変わりましたが、戸惑われることはありませんでしたか。
土井:NASAで働いているのはほとんど米国人でしたが、国連では多様な国籍や文化的背景を持つ人たちと一緒に仕事をしなければいけません。ある国の正義が別の国では悪とされるような、価値観がまったく異なる人たちが共存する中で、彼らとどのように仕事を進めるべきかという点には苦労しました。
河合:どのような苦労があったのでしょうか。
土井:国連は本当に多様性に富んでいます。コミュニケーションは英語で統一されていますが、ネイティブ以外もたくさん在籍しているので、自分の真意が半分くらいしか伝わっていないのではないかと思うこともありました。
ましてや、宇宙空間平和利用委員会は約80カ国の代表が集まり、方向性が定まっていない状態で議論します。それぞれの国からさまざまな視点で提案が上がるので、いつも大変な思いをしていました。
河合:互いの目的が異なり、意思疎通が十分に取れない状況では、その時は理解し合えたと思っていても、実際にはまったく違うことを考えていたということが起こりますよね。
土井:複雑な環境でどのように仕事をすればいいのか、自分には何ができるのかと、やはり最初は悩みました。その時に私が大切だと考えていたのは、既存のシステムを壊さないことです。
既存のシステムを土台から変えようとすると、非常に大きな抵抗が生まれます。新しいことを始めたい時は、すでにあるものを壊すのではなく一からつくる。新たにプロジェクトを立ち上げるというやり方で対応したら、うまくいくようになりました。
ただ、その時は仕事の進め方以外に、私が置かれていた立場ならではの難しさもありました。国連には各国から派遣されてる人たちがいて、私もJAXAからの退職派遣という扱いでした。しかし、国連に入ったとたん「国との関係を切りなさい」と言われます。
派遣の任期が切れると、元の国に帰り、元の職場に戻れるような仕組みができているのですが、書面上は派遣ではなく退職出向になります。それでも「国連職員として仕事をしなさい。自国の利益のために仕事をしてはいけません」という契約書にサインする必要がありました。
河合:自国と国連との板挟みになった時、自分の立ち位置がぐらつくことはありませんか。書面上は国連職員でも、事実上は短期出向であれば、派遣元の顔色を伺うようになりそうです。
土井:そこに悩む人は多いのではないかと思います。ただ、私はあくまで国連の代表という立ち位置でいようと決めました。JAXAだけでなく、NASAとも非常に深い関係にありましたが、彼らとも大ゲンカしたことがあります。
有人宇宙技術のワークショップを開催する時、NASAが自分たちの組織から人を派遣するために、いろいろな条件をつけてきたのですが、彼らの要望を受け入れたら国連が主催するワークショップとしての意義が失われます。
そこで、「NASAの要求を押し通したいなら、NASAの人たちは来なくていいよ」と言いました。NASAからは「あなたにはもう協力しない」とまで言われましたが、すべての要求を撥ねつけました。最終的にはNASAが折れてくれました。
国連にいると、さまざまな国や組織から圧力をかけられます。そして、いざ問題が起きた時、国連職員は誰も守ってくれません。本部も「内々に解決しなさい」というだけなので、自分一人の力で国家や巨大組織を相手に戦わないといけないようなことがあります。
時には勝つし、時には負けることもありますが、どんな時でも自分の立ち位置を見失わないことが大切だと思います。