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給与額を決めるのに何が重要かと問われれば、多くの人々は個人のパフォーマンスだと答える。特に個人主義の浸透する米国では、自分が成功するかどうかは経済や経済ではなく、あくまでも個人の問題だと考える傾向が強まっている。だが、それは間違っていると筆者は主張する。個人のパフォーマンスに報いることが組織全体にポジティブな影響を与えるという誤った通念が広まっているというのだ。本稿では、そうした通念がなぜ正しくないかを解明し、実際に何が給与を形づくっているかを論じながら、不平等が拡大する現在の経済の問題点を探る。


 あなたの給与や賃金について考えてみてほしい。ボーナスやストックオプションも含めて、だ。

 あなたの収入の多さ、あるいは少なさは何によって決まっているのだろう。学歴だろうか。経験や勤続年数だろうか。組織の業績、居住地域の物価、職業、あるいはあなた自身のパフォーマンスだろうか。

 筆者は過去数年にわたり、米国のフルタイムの労働者1000人以上と150人以上のマネジャーを対象に、賃金や給与を決定する要因について調査を行ってきた。具体的には、前述した要素がどれほど重要だと考えているかを尋ねた。

 結果は明白で、個人のパフォーマンスだと考える人が圧倒的に多かった。フルタイムの労働者では、回答者の3分の2が給与の基準として個人のパフォーマンスが「非常に重要である」と答え、20%が「やや重要である」と答えた。合わせると85%が、個人のパフォーマンスが給与額を決定する重要な要素であると考えていることになる。

 実際に給与額を決定する役割を担っている人々はどうか。筆者は、組織の給与設定に関わるマネジャーや経営幹部に幅広く調査を行い、従業員の報酬を設定する際にどのような要素を考慮するか尋ねた。

 労働者を対象とした調査と同様、結果は明確だった。個人のパフォーマンスという答えが最も多く、報酬を設定する人々の4分の3近くが非常に重要な要素であると答えた。

 これらの結果は特に驚くべきことではない。米国人が報酬に対する個人のパフォーマンスの重要性を信じているのは、個人主義という文化的な感情が深く浸透しているからだ。

 また、学問の世界においても個人のパフォーマンスが報酬の中心的な決定要因であるという考えが長年支配的であることも反映している。こうした考えが相まって、一般的な米国人の間で、個人の経済的な成功や失敗は政治的・経済的構造のせいではなく、自分自身の問題であるとする傾向が強まっている。

 問題は、それが正しいかどうかだ。

 一言で言えば、正しくない。個人のパフォーマンスの重要性は、給与に関する一連の誤った通念の上に成り立っていると、筆者は考えている。そうした通念は広く普及していて、議論の余地がないことが多く、誤解を招いている。それらが、不平等の拡大とそれに起因するあらゆる有害な影響との闘いを妨げている。