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コロナ禍で市民生活が大きく変化するいま、特に消費財・小売企業はその変化に対応することが急務である。単に守りを固めるだけでは危機後の成長は見込めず、存続すら危ぶまれる事態に陥るだろう。新型コロナウイルスの危機が去った後に中長期的な成長を実現するためには、危機の渦中にあるいま、戦略的な投資を実行しなければならない。本稿では、日本・米国・中国の消費財・小売企業におけるM&Aの比較を通じて、ポストコロナの成長を実現するために日本企業が乗り越えるべき課題を明らかにすると同時に、コロナ禍で見えた日本企業の可能性を提示する。

 コロナ禍は地球レベルで進行中の環境変化であり、私たちの生活環境や行動様式も大きく変化している。この時期に企業がどのような行動を取るかによって、その後の中長期的な成長を大きく左右する可能性が高い。なかでも生活者と直接の接点を持つ多くの消費財・小売企業は、これを飛躍の機会に変えられるか、それとも存続危機を迎えるかという分かれ道に直面している。

 ここ数年、グローバルの消費財・小売企業のM&Aの動向に目を向けると、「規模の経済」から「範囲の経済」あるいは「新たな組織能力」の獲得へと、その目的がシフトしている。たとえば、米国企業はヘルスケアやデジタルに、中国企業はテクノロジーや食糧資源への投資を加速する、などだ。

 一方、日本の消費財・小売業界の企業は、そもそもM&Aの絶対額が少なく、投資をしても規模の経済を目的にした案件が多い。「範囲の経済」や「新たな組織能力」を獲得するためのM&Aには慎重だった。

 足元ではコロナ禍のトンネルの出口も見え始め、企業の利益も戻り始めている。この間、「守備」によく努めた日本企業の財務体質は強化され、現預金残高は過去最高水準まで積み上がっている。また、気の早いステークホルダーである金融市場は、実体経済より先に景気回復を織り込んで、株価は上昇基調にある。

 日本企業はいまこそ、その強い財務体質を活かして、投資のあり方やポートフォリオを見つめ直し、従来の枠を超えた成長投資に舵を切る時ではないか。

 筆者はグローバルファームの経営コンサルタントとして15年以上、消費財・小売業界を中心に、日本およびMNC(多国籍企業)の経営課題の解決を支援してきた。実務を通じて戦略や意思決定、その奥底にある組織風土を洞察する機会に恵まれている。

 本稿では、日本企業にとってのインフォームド・ディシジョン(十分な情報を得たうえでの決断)に資するべく、筆者が所属するA.T. カーニーが実施した調査データをもとに、特に日本の消費財・小売企業が進むべき道を提示したい。

消費財・小売業界のM&Aは
スケールディールからスコープディールへ

 A.T. カーニーでは、企業の成長に向けた投資活動を把握するために、グローバルのM&Aを対象として、金額や件数、買収元・先の業種や業界を定点観測している。その結果によると、消費財・小売業界におけるM&Aの金額は、2009年のリーマンショック以来増加してきたが、2016年をピークに減少に転じ、現在も低下傾向にある(図表1を参照)。

図表1:全世界の消費財・小売企業における
M&Aの案件総額(10億USドル)

 この背景には、リーマンショック直後と比べ、2016年付近には景気や株式相場の回復に伴うマルチプルが相対的に上昇したことで、M&Aの「お買い得感」が薄れたことが挙げられる。また、規模の経済を追及する同業他社の大型買収が一段落し、企業が買収後のPMIや買収した企業や事業のバリューアップに注力したことなども、その大きな要因の一つである。

 日本でも消費財・小売のM&Aの金額はおおむね同様の傾向が見られ、2016年以降、金額ベースで3割ほど減少している(図表2を参照)。

図表2:日本の消費財・小売企業における
M&Aの案件総額

 日本の場合、そもそもの消費財・小売業界でのM&Aの金額が大きくないため、毎年の個別案件によって総額の変動が大きく出やすいという側面はあるが、ここでもやはりマルチプル上昇によるお買い得感の希薄化や、特に海外市場の成長取り込みを目的とした同業他社の買収が減少したことが、その要因として挙げられる。

 ただし、ディールの合計金額は減少に転じたとはいえ、2016年以降もM&A自体は行われている。では、どのようなタイプのM&Aが主流となっているのか。それは一言で言えば、規模の経済の追求を目的とした「スケールディール」から、範囲の経済や新たな組織能力の獲得を目的とした「スコープディール」へシフトしたといえそうだ(図表3を参照)。

 なお、スケールディールとは、同一業種内における他社の買収であり、規模の経済によるオペレーションの効率性・生産性の向上や、市場やチャネルに対する支配力の強化を目的とするものと定義する。また、スコープディールとは、異なる業種の他社の買収とし、範囲の経済による新たな組織能力の獲得や、事業ポートフォリオの拡充を目的とするものと定義する。

図表3:スケールディールとスコープディールの比較

 スケールディールは同一業種内での買収のため、一般に対象企業のビジネスやその勘所に対する経営陣の理解は相応に高い。そのプロセスはスコープディールと比較して簡素で、PMIに要する期間も短く、適切なプロセスを経て事業評価や統合を行えば、本来的にはリスクもマネージしやすく、成果も短期的に上げやすい。たとえば、飲料メーカーによる他の飲料メーカーの買収・統合などがこれに該当する。

 一方、スコープディールは自社の主力事業とは異なる業種を買収するため、ビジネスの勘所に対する経営陣の理解は必ずしも高くない。多くの場合、スキルや人材面での違いだけでなく、奥底にある価値観や組織風土と呼ばれる文化が異なるので、外部の目利きの雇用などを含めて、相応の工数をかけて事前の事業評価や事後の統合に取り組む必要がある。統合して成果を出すまでには時間がかかる、もしくはあえて完全には統合しない場合もある。

 このようにスコープディールのリスクは相対的に大きいといえるが、自社単独では有さない新たな組織能力や事業資産を獲得できるため、それらが大規模な環境変化に対応するのに必要なものであれば、極めて有効な手段といえる。スコープディールの例としては、後述するように伝統的小売企業によるeコマースやD2C、それらに関連する一連のテクノロジー企業の買収等が挙げられる。