日本の消費財・小売企業は
新たな組織能力の獲得に慎重
ここまでの議論を踏まえて、スコープディールの詳細について見てみよう。消費財・小売業界のM&Aの動向を細分化した時、各社がどんな企業を対象に、どのような狙いでM&Aを実行しているかについて、日本、米国、中国というGDP(国内総生産)世界上位3カ国の比較データからひも解いていく。
●日本、米国、中国、それぞれのM&Aの傾向
図表4は、消費財・小売企業による2010〜2019年に完了したM&A案件を対象に、買収元の出自国別・買収先の小分類の業界別に分析したものだ。紫色の部分は消費財・小売企業の本業から遠い領域、グレーの部分は本業に近い領域を指す。
図表4:消費財・小売企業によるM&Aの
案件総額に占める業界別割合
米国と中国の消費財・小売企業は紫色が多く、本業から遠く見える領域、特にIT関連、ヘルスケア、農業などでの組織能力や事業資産の獲得に意欲的な様子が見て取れる。
米国の消費財・小売企業に着目すると、ヘルスケアやeコマースなどの新たな組織能力獲得に積極的である。米国の消費財メーカーの間には近年、製薬会社の家庭用事業を買収し、事業ポートフォリオを拡大するトレンドがある。
たとえば、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)は、ヘルスケア企業のMerck KGaA(ドイツを本拠とするメルクの一般用医薬品事業)を買収した。また、リアルの小売企業には、消費者のデジタルシフトに対応するために、eコマース企業や関連するテクノロジー企業を買収するトレンドが存在する。たとえばウォルマートは、インドのフリップカート、米国のジェット・ドットコム、中国のJDドットコムといった有力EC企業の大型買収を数々行っている。
中国の消費財・小売業界については、ITや食糧資源など、業界の外の事業資産や新たな組織能力を狙った投資は多く見られる。
たとえば、化粧品メーカーの索芙特(Softto)はIT企業の天夏科技集団(Hangzhou Teamax Technology)を買収し、美容・医療・スマートシティ・不動産・旅行等をデジタルでつなぐエコシステム形成を目指している。また、食品メーカーの中糧集団(COFCO)はオランダの穀物大手ニデラやオーストラリアの製糖企業タリー・シュガーを買収し、食糧資源の確保という国策的意味合いに加え、バリューチェーンの上方延伸という事業上の競争力の強化を図っているように見られる。
一方、日本に目を向けると、本業からは一見して距離のある能力の獲得や領域への投資には慎重であることがわかる。同一業種内あるいは不動産など、既存のオペレーション上の必要性が高い事業への投資が中心である。たとえば、アサヒやサントリーなどの大手酒類メーカーによる海外の同業他社の買収、イオンやセブン&アイ・ホールディングスなどの大手組織小売による実店舗用不動産の取得や同業他社の買収などが挙げられる。
実は、こうした日本の傾向はその他の世界と類似しているので、必ずしも珍しいこととはいえない。むしろ近年のスコープディールの活況は主に米国・中国で際立っているともいえるが、それらの国の企業と同等以上の成長を望むのであれば、真剣に検討する価値があるということだろう。
●なぜ日本企業はスコープディールに慎重なのか
それでは、なぜ米国・中国の企業がスコープディールへのシフトが鮮明なのに対して、日本ではあまりその動きは見られないのか。日本企業がスコープディールに慎重な背景には、(1)外部環境の違い、(2)組織風土の違い、という2点が主に挙げられ、特に企業内部に根差した後者の影響がより大きいのではないかと筆者は考えている。
(1)水平統合の余地が残る外部環境
日本国内の消費財・小売市場の寡占度は、概して欧米諸国と比べて低い。昨今のコロナ禍も相まって、国内の水平統合の余地が残ること自体が、日本の経営者の目線をスコープディール以外に向けさせにくい背景の一つとして推察される。
日本の食品メーカーは、加工食品や調味料・菓子などの下のサブカテゴリーごとに、創業当時からの老舗ブランドを代々守っている中小企業が数多く存在する。欧米のクラフトーモンデリーズのような大型の合従連衡が進んでいない。
また、小売事業者についても、大手のセブン&アイ・ホールディングスやイオングループの寡占度は合計しても2割程度(米国は4大小売の寡占度が4割)であり、地方の個人事業主や零細小売店が全国に数多く存在する。
(2)多様性の低い組織風土
多くの日本企業は、価値観・スキル・人材の点で欧米企業と比較して同質性が高く、いわゆるダイバーシティ&インクルージョンが進んでない。特に、M&Aなどの意思決定に携わる本社経営陣の多くは「日本人・新卒入社・男性」が大半を占め、自然と身につくスキルや評価の視点も社内の主力事業のそれに偏り、深層にある価値観も同質性が高い。
こうした多様性の欠如はM&Aの傾向とは無関係な事柄に見えるが、M&Aも含めた企業の重要な意思決定や戦略の選択などを通じて、事業運営に間接的に影響を及ぼす。組織内の多様性の欠如は、異質な資産、能力、価値観、文化を有する企業・人・アイデアに対する受容性を半ば無意識的に引き下げるからだ。
新たな組織能力の獲得や範囲の経済の追求を目的とするスコープディールに関しても感度が鈍くなり、挑戦する意欲も湧きにくいと推察される。