ポストコロナを見据えて、
いまこそ成長投資を実行すべき
ここまで見てきた通り、2019年のコロナ禍以前の時点でも、多くの日本の消費財・小売企業は、現業以外の新たな組織能力を獲得するためにM&Aを活用することに慎重であった。中長期目線で見た時の環境変化への適応や成長ポテンシャルへの挑戦において、グローバルの競合に遅れを取っていたように見える。
加えて、2020年からのコロナ禍は、グローバルの消費財・小売企業と同じように、日本の消費財・小売企業にも多くのチャレンジを突きつけている。長引く外出や会食の自粛、ソーシャルディスタンスの徹底、景気の不透明感の高まりによる消費マインドの低迷、それらに伴うイエナカ消費の増加、デジタルのさらなる浸透、リアル店舗のメディア化など、その多くはコロナ禍以前にも観察・予測されていた事象だが、コロナ禍はそれらの変化を加速した。
コロナ禍以前の時点ですでに、新たな組織能力の具備という点で後れを取っていた多くの日本企業は、コロナ禍による環境変化の加速によって、変化への適応・挑戦が待ったなしの状態にあるといえる。しかしながら、この状況は見方を変えれば、ユニークなM&Aの機会としても捉えうる。
日本企業はコロナ禍以前から、グローバルの企業と比べて多くの現金を有していた。また、足元ではコロナ禍を生き抜くため、多くの企業が経費やコストの徹底した削減、さらに成長に向けた投資までもゼロベースで見直しを行った。その結果、過去からも現時点でも「守備」に長けた日本企業の財務体質は強化され、現預金残高は過去最高水準まで積み上がっている。
図表5は、金融業を除く日本、米国、中国の企業について、換金性の高い資産(現金+現金同等物+有価証券)がGDPと総資産のどれだけを占めるかの比率を、過去10年間にわたって比較したものだ。
図表5:換金性の高い資産の比率
図表の左、GDPに対する換金性の高い資産の比率では日本が一貫して最も高く、生み出した所得フローのうち、多くの部分が換金性の高いストックとして温存されてきたことがわかる。また図表の右、企業の総資産に占める換金性の高い資産の比率でも、中国に次いで高い推移を示し、財務体質の健全さが伺われる。
すなわち、米国企業と比較すれば、多くの日本企業は新型コロナ危機を克服するうえで相対的に優位なポジションにあるということに加えて、その先の成長投資を計画・実行するうえでも、財務体質上は優位といえる。
また、中国では非上場の国営企業によるGDPへの貢献度が日本や米国より高いため、換金性の高い資産/GDPは日本より低い水準となっているが、換金性の高い資産/総資産の値から、中国企業は日本企業にも増してキャッシュリッチであることが読み取れる。
そのため優良な投資先の買収を巡る強力なライバルとして、より大きな存在感を示すことが考えられる。買収合戦においては価格以外の要素、たとえば完成度の高い買収後の統合やバリューアッププラン、経営陣や従業員の処遇、ブランドや顧客リストなどの知的財産の保護なども含めて、交渉に臨む必要があるだろう。
ただし、いずれにせよ日本企業は米国や中国と比較して、けっして不利な財務体質にあるというわけではない。みずからの投資スタンスやポートフォリオを見つめ直し、強固な財務体質を活かして、不況下や先行き不透明な中でも機動的に投資を行うことができれば、新たな組織能力の獲得や中長期での成長を実現するチャンスとなる。
過去を振り返れば、不況下でも投資を行った消費財・小売業界の企業は、投資を控えた企業よりも中長期的に株価の向上を実現している。
図表6は、米国においてリーマンショック後の不況下(2008年第3四半期から2009年第2四半期)でM&Aを実行した企業と、消費財・小売企業における株価の全体平均の推移を、11年にわたり追跡して比較したものだ。これを見てわかるように、期間中一貫して、不況下でM&Aを実行した企業の株価が全体平均を上回っている。
図表6:不況下でM&Aを行った米国の消費財・小売企業と
同業界の全体平均の株価推移
不況から回復した直後の2010年で約50%、長く続く好況下の2018年でも約25%上回り、これらの企業は景気の短期的な波を超えて、資本市場に評価されている。これは不況下であっても買収を可能にする強固な財務体質だけでなく、どのような状況下にあっても成長機会を求め、投資をコンスタントに行う経営姿勢への好感とも受け取れる。
「人の行く裏に道あり花の山」という有名な株式投資の格言がある。付和雷同では大きな成功は得られない。他人と反対のことをやったほうがうまくいく場合が多いという意味だが、図表6の結果はこの格言とも一致する。
環境破壊の進行や所得の二極化を目の当たりにして、資本主義のあり方そのものが問われているいま、資本市場における株価や時価総額だけが企業の価値を測る物差しではない。しかしながら、明日(未来)の競争力をつけるためには、今日(現在)の投資が必要なことは、世の常を問わない原則であるはずだ。
歴史は、実体経済が不況で先行きも不透明な時、すなわち心理的には過度に慎重になりやすい時こそ、実は投資の大きなチャンスであることを示している。気の早い金融市場は、世界的な金融緩和もあり、実体経済の回復を見込んで株価は早々と上昇している。それ自体がバブルかどうかという議論は本稿の主旨ではないが、企業を取り巻くステークホルダーの一部が、景気の先行きに対して強気の見方をしていることは事実だろう。
日本企業は、コロナ禍だから、実体経済の先行きは不透明だから、という理由だけでM&Aの検討や意思決定を先伸ばしにせず、業界外の事業を対象にしたスコープディールも含めて、強固な財務体質を背景にして果敢に検討・挑戦してみるべきではないか。ポストコロナでますます有用となる新たな組織能力を、コロナ禍を通じてより筋肉質になった組織能力に加えることができれば、市場が再び開いた暁には、いっそう力強く再生・飛躍できるのだから。