マインドフルネスと禅

 今月号の特集は、いつも以上に自分たちの事として取り組めました。特集2番目のジェニファー・モス氏の論文は、ビジネスパーソンを対象に昨秋実施したアンケートをもとにしています。

 引用された回答例には、「他の人も同じ思いを抱いているのか」と感じるものが多くあります。本誌はバーンアウトに対する、組織での対策が中心ですが、編集作業と並行して、個人としての「処方箋」も模索しました。

 先月参加した私的勉強会で、浄土真宗の築地本願寺の宗務長、安永雄彦(雄玄)氏のお話を聞きました。リモートワーク期間が長期化し、会社の同僚などとの触れ合いが少なくなり、孤独感に苛まれる人が増加している今日、従来以上に社会に開かれたお寺を志向しているとのことです。

「ふらっとお参りして気持ちが楽になったことがきっかけで、時々行くようになった」と言う方がいると聞き、私も休日に参拝しました。本堂でしばらく座っていると、落ち着いた心持ちになりました。参拝者が多いことも実感しました。

「コロナ禍の不安な時代に、人々の心に寄り添う役割を果たしていきたい」(安永氏)という築地本願寺は、法要や法話をウェブで動画配信したりラジオ番組で相談に乗ったりなど、一般の人にとって同寺の敷居を低くする様々な施策を講じています。安永氏の著書『築地本願寺の経営学』(東洋経済新報社)には、そうした施策と背景が詳述されています。

「科学とテクノロジーの時代、誰もがエビデンスこそ絶対だと信じています。世の中の全員が神社の存在や宗教の〝ストーリー〟を信じているわけではありません。私が最近思っているのは、宗教は検証可能なものではないので、ダブルスタンダードであってもいいということです。私たちが生きている『科学の世界』と、ストーリーが繰り広げられる宗教という『物語の世界』は、並行して存在していいと思うのです」「(私は)まだ惑うこともあり、僧侶になったといっても悟りなどほど遠い存在です」と書かれています。同書を読むと、仏教やお寺が身近に感じられて来ます。

 DHBR編集部は本ウェブサイトで、ポッドキャスト「DHBR Fireside Chat」を始めました。特任編集委員で華道家の山崎繭加氏がホストで、毎月ゲストと対談します。

 第1回目は、禅僧・藤田一照氏です(第2回目の起業家・岡田光信氏の収録もアップされています)。大学院で心理学を研究していた藤田氏が、なぜ禅の道に入ったか、などの話から始まります。「実験して、数値化して一般化するという科学の方法とは違う。僕のユニークさは、僕にしかない」という禅に惹かれたそうです。

 曹洞宗の禅は、前述の浄土真宗とはまた異なる、修行の世界。さらに知りたくて、『禅の教室』(中央公論新社)を読みました。詩人の伊藤比呂美氏との対談の書です。

 同書の「はじめに」に藤田氏が書かれている通り、「比呂美さんは仏教や禅についての自らの無知を一向隠すことなく、ストレートに『それって何よ?』と切り込んで来た」というスタイルで、仏教や禅の考え方がわかります。

 弊誌でもしばしば取り上げるマインドフルネスと禅の違い、スティーブ・ジョブズの禅への関わり、米国における禅の流行の変化など、読むと、関心はさらに深まっていきます。正しい坐禅の指導もあり、坐禅は苦行だと思っていた伊藤氏が最終的に「すごく楽しかった」となるのです。

 しかし、坐禅は、結果として「自分が調う」という効能はあるかもしれないけれど、それは副産物で、効能を求めて行うものではない、ということです。バーンアウトへの「処方箋」というより、生きることの苦しみや悩みへの対処に近いのかもしれません。正直、わかりませんが、もっと知りたい世界です(編集長・大坪亮)。