ジューンティーンスの歴史

 まず、歴史を明らかにしておこう。エイブラハム・リンカーン大統領が奴隷解放宣言に署名したのは1863年のこと。しかし、その後も南部の地主たちは、南部連合で最西部に位置するテキサスに奴隷を移すことによって、この大統領令を回避しようとした。

 だが、彼らを追いかけた北部軍が、1865年6月にテキサス州ガルベストンに到着し、25万人以上の黒人奴隷をついに解放した。その後、この黒人たちは正式に自由を与えられ、1865年12月には合衆国憲法修正第13条が批准されて、奴隷制は正式に廃止された。

 ジューンティーンスは「ジュビリーデー」(歓喜の日)としても知られ、米国にとって本当の独立記念日だと言われることもある。一般に米国が独立した日とされる1776年7月4日は、一部の米国人にとって自由と正義を象徴する日にすぎないからだ。

 この感覚は、黒人活動家フレデリック・ダグラスの1852年の演説「ニグロにとっての7月4日の意味」において巧みにとらえられている。この中でダグラスは、「7月4日(独立記念日)はみなさんのものであって、私のものではない。みなさんは祝福するかもしれないが、私は嘆くしかない」と語った。

 もちろん、米国の黒人にとって、平等と正義を求める戦いは現在も続いている。だからこそ、企業などの組織が6月19日を、米国史における極めて重要な日だと認めることが大切なのだ。

 米議会は2021年6月、「ジューンティーンス全米独立記念日」を連邦の祝日とする法案を採択して、サウスダコタ州を除くすべての州が、この日を州の休日または祭日とした。

 最近の労働者調査では、2020年より前にジューンティーンスのことを知っていた労働者は41%しかいなかったが、昨年(2020年)の人種意識の高まりを受け、2021年5月はその割合が71%まで上昇した。黒人の場合は67%から93%への上昇だ。1921年にオクラホマ州タルサで起こった虐殺事件で「黒人のウォール街」が破壊されたことについても、事件から100周年を迎えた今年5月に大幅に認知度が高まった[編注]

 たしかに、これは大きな進歩だ。過去2世紀にわたり、米国の教育システムは、黒人の経験をほとんど扱ってこなかった。

 国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館と独立系研究機関オバーグ・リサーチが2015年に実施した調査によると、米国の小中高校の歴史教師が黒人の歴史を扱う時間は、全授業時間の8~9%であることがわかった。しかもその内容は、奴隷たちの精神的苦痛や、公民権運動や、現代の大量投獄の問題が中心で、ハーレム・ルネッサンスや、黒人の大移住(グレートマイグレーション)や、黒人コミュニティの無数の功績や貢献といったポジティブな側面はあまり扱われないことが、別の調査でわかっている

 本稿の筆者2人は、それぞれノースカロライナ州とアラバマ州出身の黒人女性であり、子どもの頃から家庭や社会でジューンティーンスについて聞いて育った。しかし、学校の教室でジューンティーンスが言及されたことはなかったし、祝日とされたこともなかった。

 現在は多くの学区が、より正確で、より人口構成を反映した、より力強い歴史の説明をするべく努力している。ジューンティーンスやタルサ人種虐殺や制度的人種差別も取り上げられている。

 しかし、その努力に対して、反対の声が上がることも少なくない。そのことは、批判的人種理論(人種問題は個人的な偏見の産物であるだけではなく、法制度や政策に組み込まれた問題だという考え方)をめぐる最近の白熱した議論にも表れている。

 だからこそ、雇用者がジューンティーンスなど、これまでは多数派が祝福してこなかった文化的祝日を認めて、称えることが重要なのだ。