IASの中核にあるのは「繁栄を共有する」というビジネス哲学である。そこでは経済均衡を達成するために、参加者は競争相手と協力し合う。蓄積された市場の競争優位性は常に測定され、希釈化や市場シェアの引き渡しを通じて調整される。その結果、社会のレジリエンスや共生可能なコミュニティの形成が実現する。

 これが可能となるのは、主要参加者が競争相手に資金を提供するからだ。そこでは、成功は市場での絶対的な優位性ではなく、他者の繁栄のためにどれだけ支援を提供したかで測られる。

 イボ族の共同体は何百年もの間、この文化を存続させてきた。根底にあるのは、誰もが口を揃える「onye aghala nwanne ya」、つまりコミュニティにおいても市場においても「自分の仲間を取り残すべきではない」という教えである。

 IASで重視されるのは、あらゆる人にとっての機会を最大化して、貧困を防ぐことだ。イボ族は、生まれた子どもたちがコミュニティに所属すると考える。実際、イボ族は子どもたちを「Nwaoha」と呼ぶ。これは「コミュニティの子ども」という意味だ。

 両親は子どもたちをこの世に送り出し、コミュニティは子どもたちが確実に成功し、繁栄するようにサポートする。両親の身に何かが起きた場合、あるいは子育てができない場合には、コミュニティの誰かが保護者の役割を果たす。典型的には、徒弟制度によってその子どもは新たな家族と一緒に暮らすプロセスを体験し、やがてマスターの会社で働く段階へと移行する。

 さらに数年後、その子どもは独り立ちする。マスターはみずからの顧客を紹介し、将来の競争相手に対して資金も提供して、市場シェアを譲る。そうして弟子がベンチャーで成功するために必要な支援を行うが、弟子が設立した新会社の株をマスターが所有することはない。

 具体的なシナリオを挙げよう。たとえば、都会で事業を展開している男性が自分の村に戻り、3人の子ども(通常は男の子)を預かる。子どもたちは父親を亡くしたのかもしれないし、あるいは家族が貧しくて教育を受けられないのかもしれない。

 男性は、子どもたちが意義深い人生を送れるようにしようと決心する。子どもたちは男性の下で数年間働く。これが徒弟期間である。

 徒弟期間が終わると、男性は親族やビジネスパートナー、その他の人々を招いて、子どもたちを独り立ちさせる。男性がある特定の市場で10%のシェアを持っている場合、徒弟期間の終了時に彼のシェアは7%だけになり、残りの3%は子どもたちのものとなる。

 その男性にとって重要なのは、自社の拡大ではなく、弟子たちが成功することだ。だが、彼の仕事はここでは終わらない。彼は弟子たちに商機を与え、独立して事業で成功できるようにする。新会社が繁栄するために、マスターがそのセクターから完全に撤退する場合もある。

 たとえば、前出のウバは、スペアパーツ事業をガーナとコンゴで立ち上げたが、故郷のネウィ(ナイジェリア)に戻り、若者を預かり、彼らに事業を教えた。その後、彼は最終的に若者たちのためにそのセクターを去った。チュクウマも以前、製造業のベンチャーで同様の対応をしている。