デメリット

 政治的発言を禁止することは、基本的に不可能だ。なぜなら、何を「政治的」と見なすか、あるいはどの問題であれば会社のミッションに関連しているために議論が「許される」か否かを、明確かつ客観的に線引きすることはできないからだ。

 問題は、政治の世界で議論される内容の多くが、会社の目標や運営に関係している点だ。

 たとえば、筆者らが最近話を聞いたある小売業のCEOは、業界の評論家による性差別的な発言について、自分の手には余ると感じて沈黙していたが、公の場で発言することを求める従業員との激しい議論に巻き込まれた。

 性差別を「政治的問題」として、単純に議論を禁止することもできた。しかし、性差別は主要顧客である女性の支持、そして重要な人材を獲得・維持してきたこれまでの評判に依存する会社のミッションに関係していた。

 CEOは従業員に促されて、声を上げる道を選んだ。ストライキが起きたり、地元紙、さらには全国紙で怒りの声が上がったりする危険な事態にもなりかねない状況だったが、そうした劇的な展開にはならずに解決した。政治的議論では、状況を打開する能力が成功の指標となることが少なくない。

 政治的話題を禁止することは、2つの点で裏目に出ることがある。

 第1に、従業員がそれを快く思わないことだ。その理由は、心理学の理論「交流分析」にある。「批判的な親」(CP)がルールを決めると、咎められた相手側に「反抗する子ども」(RC)の自我状態が現れることが多い。

 政治的相違に関する発言を禁じる企業のリーダーは、相違を目につかないようにすることで、結果としてそれを爆発させてしまう可能性が高いことになる。広く報じられたベースキャンプの大量辞職が、その例だ。

 第2に、もしあなたのルールが受け入れられれば、多くの「従順な子ども」(CC)の行動に見舞われるかもしれない。つまり、何が許され、何が許されないかについて詳細なガイドラインを何度も定め直し、何か予期せぬことが起きるたびに解決することを従業員から期待されるのだ。そうなれば、地雷原のように身動きできない状態に陥りかねない。

 リーダーが、その立場を利用して境界線を設定すべき状況がないと言っているわけではない。従業員がハラスメントを受けたり、議論が攻撃的になったりした場合、リーダーが介入する必要があるのは明らかだ。

 しかし、それを基本的対応にしてはならない。むしろ、「全面的に禁止する」と「政治的発言を自由にさせる」という両極端の対処法の間には相当の距離があると、筆者らは考えている。