(2)自分が回避していた状況に戻ることに不安を感じる

 怪我をして数カ月休んでいる一流の体操選手がいるとしよう。彼らは意図的にトレーニングを避けたり、先延ばしにしたりするのではなく、怪我のために試合に出られない。それでも復帰する際には、以前であれば日常的に行っていた技を行うことに対して、多くの予期不安を感じる可能性がある。

 不安とは、おしなべてそのように生じるものだ。たとえ、その「中断」が外部から課されたのだとしても、人は「回避」していたことに不安を感じる。

 働く親の場合には、1日の中で子どもと離れる時間があることに不安を感じるかもしれない。以前であれば、それが家族の日常だったとしても、だ。あるいは職場で雑談をしたり、他者の性格を管理したりすることに不安を感じることもあるだろう。

 では、どうすればよいのか。体操選手の例と同じく、以前の行動に少しずつ戻るにつれて、積み上がった不安は自然に解消していく。

(3)社交関係や境界線が以前と変化する

 コロナ禍の前は、同僚の健康管理について知ることなど、ほとんどなかったに違いない。いまは、職場の誰が新型コロナウイルス感染症のワクチンを接種し、誰が接種していないかを知りたいと思うだろう。パンデミック前は、自宅の様子や子どもを同僚に見られたことはなかったが、繰り返されるズーム会議のおかげでそれも変わった。

 オフィスが再開されると、影響力を持つ社員が出現する可能性がある。感染対策がいかに維持され、いかに丁寧に行われているかという観点から、職場の文化や規範を仕切ろうとする人々だ。

 一方で、仲間外れにされる社員が出る可能性もある。たとえば、マスクは金輪際不要にしたいと思う社員が圧倒的多数を占める中で、ある社員はワクチンを接種しないと決断し、マスク着用を続けることにした場合などだ。

 この慣らし運転の間に、職場に従来存在していた序列や人気順位が、よりいっそうあからさまになる可能性がある。たとえば、マスクを外して店でランチを食べ、以前とまったく同じように行動しているのが「クールな」社員で、まだマスクをしてデスクで昼食を食べているのは「面倒な」社員だというように、である。

 同様に、オフィスに戻れば生産性が上がると大喜びする社員もいれば、それとは逆に感じる社員もいるだろう。置かれている状況や性格はそれぞれ異なるため、相手も自分と同じ見方をしていると考えてはいけない。

 もしリーダーや同僚が、生産性や仲間意識を取り戻すためにオフィスに復帰すべきだと声高に主張しているとすれば、それは自分たちの考え方や経験を過度に一般化しようとしているにすぎない。

 こうした問題を解決するのは、寛容と受容、そして噂話を慎むことである。