
今回は、企業の経営者による、投資家、顧客、社会といったステークホルダーとの効果的なコミュニケーションについて検討する。成長や稼ぐ力という視点や企業経営におけるお金の流れという視点で行っている経営の舵取りについて、経営者はステークホルダーに対して積極的にコミュニケーションして、効果的な対話を行っていくことが大切である。日本企業からの好例も紹介する。
「知りたいこと」と「言いたいこと」
事業改革と財務改革からなる経営改革を行うことによって、戦略という「原因」から企業価値という「結果」までの流れを不断に見直している場合でも、社内外にその取り組みを理解してもらうことが必要である。その対象は、社員であり、投資家であり、社会一般である。
こうした理解を得るためには、一方的に語っていても効果は小さい。社員、投資家、社会一般といった、相手方となるステークホルダーの「知りたいこと」と経営者の「言いたいこと」の間で、対話として成り立つコミュニケーションが必要である。
社員であれば自社が進んでいく道筋、投資家であれば今後の戦略や投資対効果、社会一般であれば環境問題や社会課題への対応といった、それぞれのステークホルダーが大事にするステーク(利害)を考え、それを議論していかなければならない。このように重点となるポイントやその強弱を柔軟に仕立てて、大局的な見地から語っていくのである。
そのうえで、ステークホルダーとのコミュニケーションも、仮説と検証の場として活用する心構えが大切である。ステークホルダーは、経営者が経営を考える際のパートナーであり、彼らの「頭を借りる」という発想で対話に臨むべきである。
彼らが持っている、社会、経済、産業、そして企業経営についての知見やノウハウを上手に引き出して活用するのである。自社の成長と稼ぐ力を軸とする戦略の検証ができ、誰よりも早く上手くアップデートができるようになる。
ステークホルダーからは耳が痛いことを言われるかもしれないが、それは経営者がみずからは気づいていなかった意見であったり、意外な角度からの意見であったり、あるいはこれまでにない深みのある意見であった、ということも多い。まさに、「良薬口に苦し」と考え、みずからの思考の糧にしていくほうがよい。
日本企業においては、外国人投資家が増えてきている(図表15-1「外国人持株比率」、図表15-2「東京証券取引所の投資部門別売買代金(兆円、%)」を参照)。そこでは、日本人の間における昔ながらの阿吽の呼吸や行間を読むコミュニケーションでは、意図が伝わらないばかりか、誤解される恐れさえある。さらには、こうしたコミュニケーションは一方通行の会話にしかならず、双方向の対話にはならない。
図表15-1 外国人持株比率
図表15-2 東京証券取引所の投資部門別売買代金(兆円、%)
経営者がみずから語る場面のほかに、統合報告書などを見ていると、社内外のコミュニケーションが効果的に進んでいると見受けられる企業がある。
これらの企業の統合報告書あるいは中期経営計画資料は、まず、企業価値の創造が成長と投下資本利益率(ROIC)によって表される稼ぐ力に牽引されることを視座として据えている。そのうえで、企業としてのミッション、ビジョン、バリューが、戦略の上位概念として、丁寧にまとめられている。
その後、全社戦略として、事業ポートフォリオや経営資源配分の優先順位が示される。それから、事業それぞれについての事業戦略と業績目標が示される。そして、最後に、それらの結果としての企業価値の創造を語っている。
Case Study
コニカミノルタの統合報告書
戦略という行為から、企業価値という結果まで、因果関係の流れを含めて語る際には、もちろん、投資家への目線だけでなく、社員への目線、そして社会に対する目線も意識されている。たとえば社員に対しては、企業として健康体であることを語り、社会一般に対しては、環境問題や社会課題への進取の取り組みにも触れている。
一例として、コニカミノルタの統合報告書における価値創造ストーリーを挙げておこう。
コニカミノルタはミッションとして、「人間中心の生きがいの追求」と「持続的な社会の実現」を挙げている。またビジョンとして、「お客さまの『みたい』を実現することで、グローバル社会から支持され、必要とされる企業」を目指すことや、「人と社会の持続的な成長に貢献する、足腰のしっかりした、進化し続けるイノベーション企業」であることを定めている。そして価値創造ストーリーとして、「顧客接点」「技術」「人財」といった無形資産を活かして、独自の「画像IoTプラットフォーム」をベースとしたデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するという。
将来的な社会課題の解決に貢献しながら、さまざまな業種・業態のビジネスの現場で働く「プロフェッショナル」が直面する課題を解決し、潜在的な能力や創造性を発揮できるようサポートすることで、各事業の競争力強化を図っていくことを語っている。そして、事業からのキャッシュフローの創出力を高め、無形資産と事業の強化に再投資することによって、持続的な企業価値の創造を実現していくと明示している。
コミュニケーションにおける留意点
●パフォーマンス・ダイアローグを行う
経営において、「会話」と「対話」が異なるという点を十分に理解しておく必要がある。会話は、意見や感想を一方的に述べればよしとされるのに対して、対話は、相手方と意味ある意見のキャッチボールをしながら、理解を深め合って共通理解や合意形成へと進んでいくものである。
日本企業の経営者は、まるでふだんの会話の延長のように、経営を語ろうとすることが多い。「今日はよいお天気ですね」といった発言に対して、「いやあ、少し暑いですね」と応えるような会話では、価値などについて何らの共通理解や合意が形成されることはない。これは、投資家とのコミュニケーションだけでなく、社内でのコミュニケーションにおいても同様である。
企業経営における対話とは、仮説を持って、それを相手方に投げかけて検証し、そのアップデートを図っていくプロセスといえる。相手方と意見を取り交わすことを通じて、自社の戦略という仮説をアップデートしたり、相手方の欲している利害についての仮説をアップデートして効果的に説得したり、というプロセスである。
企業の経営者にとっても、このような仮説とその検証によるアップデートのプロセスとして対話を行えるようになれば、対話そのものが面白くなっていく。
この対話について、最初に練習できるのは、社内においてである。企業の経営者が事業部門のトップなどと対話をする際は、業績の結果だけを達成か未達かと詰問するのではもったいない。戦略から業績までの因果関係の流れを理解するように、正しい質問を投げかけて対話をしてみるとよい。
そして、事業戦略のうち何が予定どおりに進み、何が進まなかったのかを理解する。そのうえで、その理由として、業界構造や競争環境に何か変化が進んでいるのではないか、あるいは何か変化が起こる前兆があるのではないか、などと考えを巡らしてみるのである。
こうすることによって、自社だけが持ち得る経営へのインサイトとしての洞察まで得られる。戦略の仮説とそのアップデートが、競合企業に先駆けて行えるのである。この取り組みは、グローバル企業では「パフォーマンス・ダイアローグ(performance dialogue)」、すなわち「業績をめぐる対話」と呼ばれている(図表15-3「パフォーマンス・ダイアローグ」を参照)。
図表15-3 パフォーマンス・ダイアローグ
●ストーリーを語る
これからの時代は、社会情勢、経済動向、業界構造、競争環境、企業の状況が、これまでになく目まぐるしく、速く、大きく変化していく。その要因を挙げてみると、次のとおり枚挙にいとまがない。
・国家間での地政学的な緊張関係
・宗教による価値観の対立
・大胆な金融緩和などの経済政策・金融政策
・グローバル化、脱炭素化、サステイナビリティという経営原則の転換
・デジタルやアナリティクスをはじめとする技術の進歩 ……
この環境の中で、企業の経営者は経営の羅針盤となるミッション、ビジョン、バリューを戦略の上位概念として示し、全社戦略や事業戦略や機能戦略を策定し、それを徹底して実行していくことによって十分なキャッシュフローを生み出し、企業価値を創造していく。これを総合的にストーリーとして語るからこそ、投資家は安心して投資を決断でき、その企業を支援し続けられるのである。また、社員も安心して就業でき、社会も頼り甲斐を感じてくれるのである。
このミッションやビジョンから始めて、成長と稼ぐ力を軸とする戦略を示し、事業が生み出すキャッシュフローを経て、企業価値の創造までをストーリーとして語っていくことによる対話が、日本企業の経営者は得意ではない。そして、つい事業の枝葉末節ともいえる細部の話に終始してしまい、足許の短期的な取り組みの話を散漫に語るだけで終わってしまうことさえある。その結果、たとえば投資家からは、「それで、一体どうしたいのか?」という疑問を投げかけられて終わる。
日本企業の経営者からは、「私は嘘をつけない性分なんだよ」「将来なんて、どうなるかわからないじゃないか。いい加減なことは言えないよ」といった反論もある。もちろん、嘘をついてはいけないけれども、いい意味でのホラを吹くくらいの感覚でちょうどよいのではなかろうか。そして、その経営者が語る夢のあるストーリーを投資家や社会一般に納得してもらう、まさに投資家や社会一般からお墨付きを得ていくのである。
●将来のストーリーに想像を巡らす
企業価値創造型経営において、将来の世界についてストーリーをもって考えていくことは非常に面白く、また戦略を検討するうえで有用である。
たとえば、いまは第4次産業革命の真っ只中と言われているが、それでは第5次産業革命があるとすれば、どのような変化が起こるのだろうか。そして、その第5次産業革命の中では、どのような戦略によって経営を行っていくべきであろうか。このような問いに、答えていけるようになる。
これまでの歴史から振り返ってみよう(図表15-4「農業革命・産業革命・○◯革命?」を参照)。
図表15-4 農業革命・産業革命・○◯革命?
まず、農業革命によって食料を得て、人間は生存を確保できた。次に、第1次産業革命によって蒸気機関による動力を得て、そして第2次産業革命によって石油や電力というエネルギーからの内燃機関による動力を得て、人間は力仕事という苦役から解放された。
さらに、第3次産業革命によってコンピュータを得て、人間は知能を高めることができ、生産性を高めることができた。最近では、第4次産業革命によってデジタルとアナリティクスを得て、人間は人知を超える水準まで知能を高められ、生産性をさらに高めることができるようになった。こうして、生存の確保、苦役からの解放、知能の向上が図られてきたわけである。
そうすると、次には、「時間」「場所」「人間という個体」を飛び越えるといった分野に興味と関心が湧いてくる。
時間を飛び越えると言ってもタイムマシンはないので、将来にわたって飛び越えるということで、再生医療などが進展するのかもしれない。場所を飛び越えると言ってもドラえもんの「どこでもドア」はないので、AR(拡張現実)やVR(仮想現実)などが飛躍的に発展するかもしれない。人間という個体を飛び越えるというのは、生まれた瞬間から生体チップなどで社会や都市とつながっていくことかもしれない。
そして、このような将来の広がりの中で、企業は、事業機会を創出・獲得するチャンスを得る。だからこそ、そういった頭の体操をしつつ、情報を得て、未来予想図を描くことも重要なのである。
こうして、過去・現在・未来という時間軸において、総合的にストーリーとして語っていくことは、単純に面白いだけでなく、これが成長や稼ぐ力を軸とする戦略からの企業価値創造型経営における、企業の戦略的な次の一手を考えることにもなっていく。
●頭の中にスプレッドシートを持っておく
経営における対話は、ストーリーをベースにした仮説と検証のプロセスである。このため、頭の中にスプレッドシートを持っておくことが大切になる。すなわち、成長と稼ぐ力を軸とする戦略をインプットして、それが戦略施策につながり、各事業からのキャッシュフローの大きさ、さらには企業価値へとつながっていく計算が、直感的かつ簡易にできてしまうスプレッドシートの構造を、経営者は頭の中に持っておく必要がある。
スプレッドシートの縦方向には戦略や戦略施策が「行」として並び、スプレッドシートの横方向には時間が「列」として流れていき、スプレッドシートのセルにはキャッシュフローが示されるというイメージである。このスプレッドシートとしては、第4回の図表4-15「アサヒグループホールディングスの簡易的な企業価値評価【例示】」をイメージすると理解しやすい。
図表4-15 アサヒグループホールディングスの簡易的な企業価値評価【例示】
投資家などとの対話の中では、相手方との議論を通じて、この縦方向の各行にある戦略やその実行のための戦略施策の内容をアップデートしたり、あるいはキャッシュフローの大きさをアップデートしていく。こうしたシミュレーションが、頭の中でできてこそ、相手方との臨機応変かつ機敏なやり取りが可能となり、対話ができるようになる。
逆に、こうした直感的かつ簡易なスプレッドシートを頭に入れていないと、相手方から何か予想外のことを問われた場合に、咄嗟のシミュレーションができないまま回答できないことになる。途端に黙り込むか、凍り付いてしまうということになり、そこで対話が終わってしまいかねない。
3つの自分を持っておく
経営における対話では、自分の中に「三つの自分」を持つ、という頭の使い方も大切になる。「いつもの自分自身」に加えて、
・議論をしながら、その議論の内容で本当によいのかと冷静に客観的に突っ込んでくれるもう一人の自分(突っ込みを入れる自分)
・そうした議論の状況を鳥の目をもって俯瞰しながら、いま本当にそのトピックを議論していてよいのかと確認してくれる自分(俯瞰する自分)
を持ち合わせておきたい。こうして、仮想的に自分自身から独立した二人の自分を追加的に持って、自分自身の内部でこれら三人による議論を高速回転させながら、相手方との対話を首尾よく進めていくことが大切である。
人格を攻撃されていると誤解しない
経営者の中には、経営における対話で相手方から意見をされると、自分自身の「人格」を攻撃されるか非難されるかでもしたように捉える人がいる。時には怒りだし、時には悲しみ、時には自信を失って、そうした議論を避けてしまう傾向がある。
対話での議論は、もちろん真剣を極めるが、それはあくまでも戦略や業績、それに関する意見に対してであり、人格に対するものではない。それでも、日本人は、小学校からの教育によって、教科書を暗記して試験で正確に再現し、正解が一つしかない条件下で採点されることに慣れてしまっている。
他人から意見されると、不正解と決めつけられたと思い込んでしまう。そして人格が否定されたか、あるいは恥をかかされたと感じて、議論が止まってしまうのである。
戦略としての企業価値 目次
はじめに
第1回 戦略としての企業価値:いまこそ求められる思考とスキル
第Ⅰ部 企業価値のポイントを押さえる
第2回 経営をお金の流れで理解するPL&BS一体型思考
第3回 企業価値評価の基礎知識(1)フリーキャッシュフローと金利・割引
第4回 企業価値評価の基礎知識(2)DCF法とマルチプル法
第5回 企業価値の源泉は「成長」と「稼ぐ力」である
第Ⅱ部 企業価値を戦略に落とし込む
第6回 企業価値を生み出す戦略の全体構造
第7回 「成長」と「稼ぐ力」を追求する戦略をいかに策定するか
第8回 メガトレンドに乗って持続的に成長する
第9回 事業ポートフォリオを再構築する
第10回 M&Aと事業売却をどのように活用すべきか
第11回 ROICの視点で稼ぐ力を高める
第12回 機能スキルによって稼ぐ力を高める
第13回 デジタルとアナリティクスで稼ぐ力を高める
第Ⅲ部 企業価値と戦略を自己検診しながら進んでいく
第14回 セルフ・デューデリジェンスによる自己検診と経営改革
第15回 企業価値と戦略の効果的なコミュニケーション
補論
第16回 企業価値創造経営の実現に向けて乗り越えるべき3つの課題
注:本連載における個別企業についての記載は、すべて公表されている情報のみに基づくものである。それらの記載は、当該企業の経営について何らかの評価を行おうとするものでもない。本連載における企業価値の算出などは、あくまで簡易な例示であって、その正確性を保証するものではなく、何らかの投資や売買などを推奨するものでもない。本連載における見解は、すべて筆者個人のものであり、筆者が所属あるいは関係する企業や機関や学校の見解や意見ではない。