マネジャーとチームへのヒント
マネジャーは、チームのエネルギーやレジリエンスを高め、共感や感情的な支援を促すために、畏敬の念の力を利用することができる。
チームのメンバーにそれぞれの「畏敬の念プレイリスト」を共有するように呼びかけ、会議の冒頭で、たとえば「今週、息をのむような経験がありましたか」「この世界に生きていることに感謝した瞬間は」と聞いて、畏敬の念を抱いた経験を共有する機会をつくる(あなたも自分の経験を披露して、自分が受けた影響を共有しよう)。
筆者の一人(カレン)がNBAチームのオクラホマシティ・サンダーと仕事をした際は、リーダーがメンバーに呼びかけて、畏敬の念と感謝を掻き立てる個人的な写真を持参することになった。次のミーティングで写真が映し出され、各人が自分の写真と経験について話した。
一方、デイビッドが働く医療機関では、畏敬の念をテーマにしたレジリエンスのウェブセミナーを、有志が昼休みに開催している。一度も会ったことのない異なる部署の人々が集まり、ズームで少人数のルームを開き、畏敬の念にまつわるストーリーを共有する。これらのイベントの後はポジティブなエネルギーが明らかに表れ、人々の気分が高揚する。
ただし、チームに畏敬の念を抱かせるような経験を提供する際に、いくつかの潜在的なミスに注意しなければならない。まず、ある人に畏敬の念を抱かせるものが、別の人には脅威や危険の感情を抱かせるかもしれない。たとえば、高所恐怖症の人に、めまいがするような眺めを見せるようなことだ。マネジャーは自分のチームをよく知り、どこで線を引くべきかを理解すること。
次に、チームに畏敬の念をうながす時は、足し算であり、引き算ではないことを忘れてはならない。畏敬の念を経験することによって、悲しみや不安がなくなるわけではないのだ。
さらに、チームが直面している課題や、リーダーシップからのサポートを必要としていることについて、率直に話し合う必要があることも変わらない。とりわけ困難な状況では、さまざまな感情を抱くのが通常であり、健全でもある。マネジャーはできる限りの思いやりと理解を示すこと。
最後に、脅しと畏怖を混同してはならない。リーダーの力を崇拝するような雰囲気をつくる、という話ではない。そのようなアプローチは本来とは異なり、良いことよりも悪い影響のほうが多い。
私たちは仕事中の多くの時間を費やして、自分の主張や意見を伝えようと努力している。自分の「小ささ」に関する感情を刺激するようなことに取り組むのは、直感的には難しいだろう。しかし、畏敬の念を伴う積極的な経験を通じて行動することは、結果的に、私たちが求めている地に足のついた感覚を生み、自分とチームにエネルギーやインスピレーション、レジリエンスなどの多くの利益をもたらす。
"Why You Need to Protect Your Sense of Wonder - Especially Now," HBR.org, August 25, 2021.