フェイスブックの必然的な進化
フェイスブックが自社のコア・パーパスを貫くためには、人々をつなげること、そしてより強い形でつなげることを続けなくてはならない。
ユーザー基盤を拡大し、これまでつながりがなかった人々をより多くつなげることが同社には可能だ。そして既存のユーザー基盤に対し、フェイスブックをもっと使って(つまりエンゲージメントを増やして)より強くつながるよう促すことができる。
これら両方を行うことで、広告収入が直接的に増える。これはフェイスブックが価値を獲得する――つまりフェイスブックを無料で使うユーザー基盤を収益化する――主要な方法だ。筆者の共著論文でも、これをテーマとして論じている。
問題は、たとえフェイスブックが広告を通じて価値を得ようという意欲をまったく持たず、人々をつなげることでユーザーに価値をもたらすことのみを動機としていても、やはり破滅への道を歩むことになる点である。同社が直面する困難は、人々をつなげる行為から生じる根本的な結果なのだ。
その理由を理解するために、フェイスブックがまだ素朴だった初期の頃から、どう変わったのかを考えてみよう。
●昔からの友達
初期のフェイスブックは、ユーザーを実生活における交流の輪、つまり「ローカルなつながり」につなげるものだった。
ミレニアル世代の筆者は高校時代、昔からの友人関係につながるためにフェイスブックに登録した。この世界でフェイスブックが促進したのは「直接的ネットワーク効果」であり、参加者同士での互恵的なコンテンツ生成である。
筆者は友人に向けて、友人は筆者に向けてコンテンツを生成した。プロムの写真を数枚投稿すると、友人たちは別の似たようなプロムの写真を投稿し、皆がいかに素晴らしく見えるかを全員がコメントする。たとえ誰かの見栄えが悪くても、そのことを書く者はいない。今後も実生活で顔を合わせなくてはならないからだ。
この頃のフェイスブックには、いくつか大きな制約があった。第1に、自分の生活ですでに存在するもの以外には、どこにもアクセスできない。筆者がDJプレイに興味が湧いた時(趣味としてはニッチであった)、フェイスブックでほかのDJとつながることはできなかった。実生活での直近の友人たちで形成されるネットワークの中に、DJがいなかったからだ。
第2に、コンテンツの量に限りがある。プロムの写真は限られた数しかなかった。第3に、一般ユーザーは「クオリティが高い」コンテンツをつくる手段を持っていない。プロムの写真にプロ並みの修正を加える者は誰もいなかった。
この世界では、フェイスブックが手放せなくなるほど強力で継続的なエンゲージメントを生むための最適化はされていない。その意味では、つながりは比較的弱いものであった。
●新しい友達
フェイスブックは数百万人、やがては数十億人ものユーザーを取り込んで「グローバルなつながり」を促進することで、これらの問題を解決した。
ニッチな興味を持つユーザーは突如として、より大きなユーザー基盤におけるより強いネットワーク効果を通じて、必要十分な量のつながりを築くことができるようになった。フェイスブックとインスタグラムには、筆者がつながりを持てるDJはたくさんいる。
しかしながら、こうしたグローバルなつながりは常に望ましいわけではない。自身にも他者にも危険な興味を持つユーザーは、互いにつながりを築いて、その興味を深めることが簡単にできる。自殺願望があるユーザーは、いまや同様の願望を持つ他者にアドバイスを求めるかもしれない。人種差別的な考えを持つユーザーは、ほかの人種差別主義者たちに囲まれることを望むかもしれない。
そしていったんつながれば、これらのユーザーは必要十分な人数で集合し、協調して活動できる。これには比較的穏やかだが有害なマルチ商法スキームもあれば、2021年1月6日の米連邦議会議事堂襲撃のような協調行動もある。後者は多くのSNS上で編成されたが、彼らを煽り立てたのは、大統領選の不正を唱える陰謀論に引き付けられたフェイスブックユーザーらのオンラインコミュニティだ。
●友達がいない
ほかにも重要な変化が生じた。フェイスブックは進化するうちに、「間接的ネットワーク効果」に大きく依存し始めたのだ。
コンテンツ消費者で形成される大規模なユーザー基盤は、仲間同士での互恵的なコンテンツ生成よりも、「プロ」のコンテンツ制作者にコンテンツを配信し続ける動機を与える。それらのコンテンツは大規模ユーザー基盤をフェイスブックに定着させ、引き付けている。
間接的ネットワーク効果を高めるために、プロのコンテンツ制作者に依存することは、多くの有害な結果を伴う。
第1に、有名人や、プロに準じる「インフルエンサー」といったエリートな人々による、達成不可能な身体イメージやライフスタイルを普通のことのように見せる行為を助長させる。フェイスブックの独自調査で、これは若者たちの鬱や不安、自殺願望を悪化させうることが判明している。
第2に、「クリックベイト」の生成をプロ化させる。従来型のメディア事業者と完全に悪質な業者の両方が、ユーザーの好奇心と感情的な反応に付け込むコンテンツと見出しを発信する動機を持つ。
第3に、本物の過激派による、明らかに危険なメッセージの大々的な拡散に力を貸すことになる。ISISは隊員募集活動で、不満を抱く若者の共感を誘うグロテスクな暴力の動画をシェアするという形で、フェイスブックを効果的に使った。
フェイスブックと私たち社会にとっての難題は、みずからの「問題」を解決するために同社が実行できることのすべてが、同社の価値創出の方法とコア・ミッションに真っ向から反する点である。
フェイスブックへの批判者が実質的に同社に求めているのは、人々とのつながりを減らし、弱めることだ。ところが、これは同社が常日頃から目指しているコア・エートス(理念)に抵触する。これが「フェイスブックが陥った罠」である。