1つ目は、「仲間・家族と楽しむことができる」という価値です。これは孤食への不安の裏返しともいえますが、コロナ禍であらためて仲間や友だちとコミュニケーションを取りながら食事を楽しむことの価値を実感した人も多いのではないでしょうか。

 2つ目は「自分へのごほうび」という価値です。ふだんは粗食でもたまに奮発してレストランのコース料理を食べるとか、ダイエットをしていても好きなものを食べていいチートデイを設けるといったものです。

 3つ目は、「自分のパフォーマンスを最大化してくれる満足感」。Z世代のある調査対象者は、「試験など大事な日の直前は、瞬間的にエネルギーチャージして脳内をすっきりさせ、“やばい日”を乗り切ります」と回答していました。

 4つ目の「食研究を通じた情熱が持てる」というのは、グルメサイトをチェックしたり、料理教室に通ったりすることに情熱を注げるということです。趣味として食を究めることやSNSで研究の成果を披露することなどに価値を見出しているのでしょう。

 5つ目の「自身の明日を創る」は、肌がきれいとか、いつもはつらつとしているとか、近い未来の自分のありたい姿を実現する手段として、食に対する期待感があることを示しています。

 ここから見えてくるのは、消費者は日常生活における食と長期的な健康を必ずしも密接にひも付けているわけではなく、心の豊かさや楽しみ、小さな幸福の実感に食の価値を見出しているということです。

 企業は、商品・サービスの開発やマーケティング戦略において「食=ヘルスケア」と結び付けがちですが、個々の消費者の価値を起点とした食体験をどう提供するかという視点で、食をとらえ直す必要があると思います。

テクノロジーによる食体験の進化、3つの方向性

――企業が、消費者の価値を起点とした食体験を提供すると同時に、健康寿命延伸という社会課題を解決していくことは可能なのでしょうか。

宮尾 テクノロジーやデータをうまく活用していけば可能だと思います。すでにそうした動きは表れ始めており、テクノロジーによる食体験の進化には、大きく3つの方向性があります。

 第1に「栄養摂取と食摂取の分離」です。ダイエット、メタボ予防など美容や体質改善のためであっても、おいしいものを食べたいというニーズが高まっており、それに応えるための栄養摂取のパーソナライゼーション、健康状態のモニタリングといったアプローチが挙げられます。

 たとえば、信州大学発のベンチャー企業であるウェルナスでは、肌をきれいにしたいなど、個人の目的や体質に基づいて目標を設定し、最適な食事をアプリで提案するサービスを事業化しています。食事内容と、脈拍や血圧、呼吸数などのバイタル情報をAI(人工知能)で解析し、個人の目標に合わせて最適化された栄養素や食事を推奨してくれるのです。

 ほかにも、DNA検査を行ったうえで、遺伝情報を踏まえた食事を提案し、一人ひとりのウェルビーイングを向上するサービスも今後多く出てくると思います。スマートデバイスやデータを活用して、最適な栄養配分を導き出し、食品や食事を提供するといったサービスは今後さらに増えるでしょう。

 また、スマートウオッチなどで、健康状態をより細かくモニタリングできる技術も実用化されています。内臓脂肪、筋肉、骨量などの測定に加え、不整脈、心房細動などのリスクを計測する機器や、指輪型の活動量計、乳酸、グルコース、アルコールなどを識別するウェアラブルデバイスもあります。

 第2の方向性が、「調理の手間の解消とこだわりある調理の両立」です。誰もが日々の調理の手間をできるだけ減らしたいと思う一方で、見栄えや味にこだわった料理を家族に食べてもらいたいという思いがあります。

 米国のフードテック企業イニット(Innit)は、家族構成や食事の好み、アレルギーなどの情報に基づいてレシピを提案するアプリを提供しており、eコマースサイトと連携して必要な食材をアプリで注文できるサービスを実現しています。家電メーカーとも提携しており、食材をセットすると自動でプロ並みの温度調整で自動調理してくれるキッチン家電などが開発されています。庫内の食材を検知してレシピを推奨してくれる冷蔵庫もあります。

 インテリジェントセンサーテクノロジーは九州大学との共同研究により、生体の味覚メカニズムを解明し、味のデータ化に成功しています。生体味覚受容メカニズムを模倣した人工脂質膜で構成された味覚センサーで甘味、辛味、酸味、苦味、旨味などの基本5味や雑味を感知し、数値化しました。

 従来は可視化することができなかった味の違いを数値化できれば、世界各地の料理や一流シェフの味などが再現可能になります。味のデータ化は、商品開発やマーケティング、品質管理、クレーム対応など、さまざまな面で変革を起こす可能性があります。

 そして、第3の方向性が「食の喜びの再発見」。身体的な制約で感じられなくなった味覚をサポートしたり、共食を楽しんだりする食体験の提供です。

 たとえば、筋肉の動きに合わせて咀嚼音を出すウェアラブル装置が開発されており、咀嚼能力が低下した人でも食べ物を噛む感覚を一定程度取り戻すことができます。あるいは、減塩食品や低糖食であっても、舌の味蕾を電気信号で刺激することで十分に味を感じられるスプーンも開発されています。

 離れた場所にいる人同士が一緒に調理したり、食事をしたりするシェアダイニングや、メタバース空間で作物を育てて、それを調理するという体験型のサービスもあります。