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2020年、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こる前は、ベンチャー企業の1社だったモデルナ。コロナ禍を経て、同社は急速に成長した。その成長を裏付けるとも取れるのが、製薬大手ファイザーを相手にした訴訟である。コロナ禍当初は、特許侵害訴訟は起こさないとしていたモデルナだったが、一転、態度を翻した。その狙いはどこにあるのだろうか。

ベンチャー企業から巨大企業に急成長したモデルナのゆくえ

 新型コロナウイルスのワクチンメーカーとして、世界的に名を知られる存在となったモデルナ。かつて同社は突破口を探してもがくバイオ医薬ベンチャーだった。コロナ禍以降はその知名度の高さから、そんなことを思い出すことが困難かもしれない。

 それが今やフェンウェイパーク(大リーグのボストン・レッドソックスのホームスタジアム)や、アーサー・アッシュ・スタジアム(テニスの全米オープンのセンターコート)に看板を出すほどメジャーな存在になった。規模といい、知名度といい、もはやモデルナはちっぽけな挑戦者というより巨人に近い。最近、製薬大手ファイザーに対して、特許侵害訴訟を起こしたことで、その巨大さがいっそう明確になった。

 モデルナがファイザーに対して行った訴訟のニュースは、市民の間では一定の驚きをもって迎えられた。そもそもモデルナは、コロナ禍の深刻な時期に、ワクチンの開発・供給中は特許侵害訴訟を起こさないと、一方的な停戦表明をしていた。

 業界関係者の間では、従来のビジネス環境が戻ってきたという見方が強い。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙のピーター・ロフタス記者によると、モデルナは2022年3月に「訴訟は起こさない」という約束を修正し、高所得国では特許権を行使する意向を示していた。「新型コロナウイルス関連の特許を追ってきた人たちにとって、この訴訟はなんら驚きではない」とロフタスは語る。

 7月にハーバード・ビジネス・レビュー・プレスから刊行されたロフタスの著書The Messenger: Moderna, the Vaccine, and the Business Gamble That Changed the World(未訳)は、モデルナがこの軌道修正を表明したあたりで終わっている。そこで、その後モデルナには何があったのかについて、HBRのシニアエディターであるスコット・ベリナートがロフタスに話を聞いた。

 インタビューは適宜編集されている。

──べリナート(以下色文字):モデルナが訴訟を起こしたことについて、あなたは驚いていないのですね。

 ロスタフ(以下略):この訴訟は、新型コロナウイルス関連の特許を追ってきた人たちにとっては、なんら驚きではありません。すでに2020年の時点で、特許弁護士や金融業界のアナリストの間では、モデルナがメッセンジャーRNA(mRNA)技術と、そのワクチンへの使用について特許を取得していること、そして、いつかそれに基づきファイザー(と他のメーカー)に対して特許侵害訴訟を起こす可能性があることは予想されていました。

 モデルナが2020年に、パンデミックの間は特許権を行使しないと約束したのは事実です。しかし2022年3月にその約束を修正して、米国など高所得国では特許権の行使を開始する意向を表明していました。今回、ファイザーに対して起こした訴訟を、いわば予告していたのです。

──モデルナもファイザーも、すでに大量のワクチンを供給したいまの段階で、この訴訟を起こす価値はどこにあるのでしょう。

 知的財産権の訴訟は、製薬業界に付き物で、コストの一つです。企業は、そのコストを負担する価値のあるものだと考えています。

 企業が特許の恩恵を享受できる期間は限られています。通常は20年です。特許期間が満了すると、先発メーカーの数十億ドルの売上げは、事実上、一夜にして、低価格の後発医薬品(ジェネリック医薬品)に吹き飛ばされてしまう。いわゆる「特許の崖」(パテントクリフ)と呼ばれる現象です。

 ファイザーの高脂血症薬「リピトール」は、ジェネリック医薬品が登場してから1年で50億ドルも売上げが落ち込みました。したがって先発医薬品メーカーは、ジェネリック医薬品に対して特許侵害訴訟を起こすことを、価値ある投資だと考えるのです。そうすれば特許の有効期間中は、独占的な販売権を事実上拡張できるからです。

 ただ、今回のケースは少し違います。モデルナはジェネリック医薬品ではなく、ほぼ同時期に登場した競合品に対して、特許権の侵害を主張しています。もし、ファイザーがモデルナの知的財産を一部使用してワクチンを製造したことを証明できれば、モデルナは2022年3月以降のファイザー製ワクチンの売上げに対して、特許使用料を得ることができます。たとえ(コロナ禍のピーク時の売上高と比べると)小さな割合であっても、ファイザーのワクチンは今後も数十億ドル規模の売上げが見込まれていますから、最終的に大きな金額になるでしょう。

 また、モデルナをはじめとする多くの製薬会社は、イノベーション保護の原則を守るために、そして他社が将来、特許侵害製品を発売するのを阻止するためにも、ここで訴訟を起こさなくてはいけないと感じています。