以前、筆者が協働した企業で、金融支配の罠がどのように起きたかを見ていこう。
欧州にある同族所有のメディア企業では、2008年の金融危機後、各国の政策金利がゼロに近かった時期に、収益性と成長性を再び高めるため、一連の企業買収を進めた。事業変革を図ろうとした同社のCEOは、紙媒体の衰退を補うために、複数のデジタルプラットフォームに投資した。
この戦略自体は健全なものだったが、M&Aのために社内のR&D投資が軽んじられる状況が生じていた。経営陣の関心と資金が、社内の活動からM&Aに移ってしまったからだ。
たしかにその会社は、中欧で大規模なR&D事業を構築していたが、M&Aがトップダウン型の価値観を強化したことで、知らずしらずのうちに社内のイノベーションに対する意欲が衰えてしまった。
新旧の企業文化の衝突が避けられず、金融志向をますます強めた会社は、買収した部門を組織本体に統合する努力を怠り、期待されていたポートフォリオのシナジー効果を実現できなかった。有機的な利益成長が起きることもなかった。
その結果、同社は金融危機前のように緩やかに結合した事業体ではなく、よくある持株会社に変わってしまった。多くの投資も、中核事業の改革につながることはほぼなかった。金融支配という「コンフォートゾーン」にいるのが快適で、そこから抜け出せず、社内イノベーションという険しい道を閉ざしてしまったのである。
同社の経営陣とオーナー一族は後になって、これらの課題に気づき、金融支配偏重を見直し始めたものの、その取り組みは不十分で、すでに手遅れだった。最終的に、この会社は社外から多額の資本注入が必要となり、オーナー一族の権力は失墜した。