中国の輸出が伸びた背景には、国内改革による生産性の向上と、国際貿易への開放政策があった。毛沢東時代の経済政策が中国経済のパフォーマンスを抑制していたのに対し、鄧小平の改革は同国の潜在的な経済力を急速に解き放った。2001年の世界貿易機関(WTO)加盟により、すでに向上途中にあった中国の生産性はさらにアップした。それに加えて、関税と非関税障壁が確実に引き下げられたことで、中国は海外からの直接投資先として魅力的な存在となった。
2000年代初頭、中国のWTO加盟と重なるようにして、大きな環境の変化があった。一つは、米国内でサービス業など、ほかの経済部門の重要性が増し、雇用に占める製造業の割合がすでに低下していたことだ。それでも、筆者らが分析した3つの研究チームのすべてが、2000年から2007年の間に少なくとも一部の地域で、チャイナショックが米国の製造業の雇用に悪影響を与えたと結論づけている。言い換えれば、製造業の雇用はすでに減少していたが、米国の一部の地域では、対中貿易によってそれが加速したのである。
チャイナショックは
米国の雇用喪失につながったのか
米政府ではいくつかのレトリックが見られるものの、チャイナショックが米国の雇用に及ぼした全体的な影響に対する経済学者の見方は、あまり一致していない。オーターらは、中国との貿易による影響を受けた地域では雇用が減少したが、より活気のある地域への労働者の移動や、製造業以外の部門の雇用増加といった、雇用の減少を相殺するような動きはなかったと一貫して主張している。
スタンフォード大学教授のニコラス・ブルームらは、別のアプローチを取り、製造業に加え、サービス業も考慮に入れて、対中貿易の影響を説明しようとしている。その主張によれば、人的資本の水準が低い地域の雇用喪失を、西海岸や北東部など人的資本の水準が高い地域のサービス業の雇用増が補っていた。その結果、対中貿易によって、米国の雇用が全体として減少することはなかったという。
ただし、地域単位で大きな喪失がなかったというわけではない。オーターら同様、ブルームらも、雇用機会の変化に応じた労働者の移住の動きは見られなかったとしている。したがって、中国からの輸入によって、雇用や所得は、米国の中心部から沿岸部へシフトしたと考えられる。
ジョージ・メイソン大学で研究教授を務めるジー・ワンらによる3つ目の研究によれば、中国との輸入競争によって製造業の雇用が最も激減した地域でも、サービス業の雇用は増加していた。サプライチェーン全体の雇用変動をとらえた彼らのデータによれば、輸入競争によって最も大きな打撃を受けた地域でも、貿易でサービス業の雇用機会が増加したという。
そして、3つのグループとも、教育がチャイナショックの負の影響を大幅に軽減したと述べている。大学卒業者の占める割合が高い地域ほど、マイナスの影響が小さかったというのだ。





