AI主導の面接は、(現時点ではまだ)卓越した選考手段ではない
AIを使う面接には共通点がある。志望者はスクリーンの前に座り、そこには自分自身の姿がそのまま映し出される場合もあり、自動化された質問に対し、短い時間で考えて答える。人間同士のやり取りはなく、自分の出来栄えを瞬時に察するためのヒントを、面接官の反応からリアルタイムで読み取ることができない。
加えて、オフィスやその他の物理的な建物に移動する時間がなくなった。希望する職場への訪問も、精神的に面接モードへと切り換えるための環境変化もない。
筆者らの調査では、このような体験はしばしば混乱と不安を伴うことが明らかになった。求職者は2つの方向に引っ張られる。一方では、このテクノロジーの新規性と、AIならではの「卓越した」性質によって、人間のバイアスが克服される未来的な体験をしているという感覚が生じる。他方では、面接中の人間的つながりの欠如と、その場の緊張感が相まって、不安が高まる。
テクノロジーへの賛美は往々にして、AIに可能なこと(および不可能なこと)に関する理想化と理解不足に基づくものであると、筆者らは警告する。
調査では、志望者はテクノロジーを賛美する傾向によって、人間よりもテクノロジーのほうが優れた意思決定を行うはずだと信じていた。結果的に彼らは、ある種の卓越した存在によって自分が審査されていると感じていた。
筆者らは、このテクノロジーが完璧ではないことを理解するよう志望者に促している。この種の面接はむしろ、有効性の欠如による悪影響を受けるかもしれない。たとえば、AIはビデオから抽出された言語・非言語の行動から性格特性を予測することに長けていない。つまり、測定すべきことを測定するための性能が十分ではない場合が多い。言い換えれば、AIは宣伝されているほど高度ではないのだ。
当然ながら、志望者の適否判断に顔認識などの技術を用いるのは疑似科学であると見なすアナリストもおり、一部の裁判所はこれを法律で禁止した。
したがって、AIによっていかなる判断を下されようと、それは不正確であり、欠陥とバイアスを伴う可能性があるという現実的な見方をすることをお勧めしたい。言い換えれば、面接の前や面接中に、AIの判断によって自信を失ってはならない。