成果との関係

 高い役職に昇進したり、独創性のあるアイデアを発表したり、過去に例のないアプローチを発明したりするなど、苦労して目標を達成すれば、高揚感を味わえる。しかし、その高揚感はどれくらい持続するのか。新しい人と出会ったとき、あなたはその人に自分の成功を知ってほしいと内心で思うだろうか。

 それまでに獲得した成果が人間の価値を決めるものと思い込み、なんらかのジャンルではしごを上ることにばかり執着し、大切な人間関係や、仕事と人生を楽しむことをないがしろにすると、その人と成果の関係は不健全なものになる。

 以下は、あなたと成果の関係を見直すために役立つ問いの例だ。

・私は成功を追求するために、配偶者や子どもや友人などの重要な人間関係をないがしろにしていないか。

・私は成功を追求するために、休息や食事や心理的な幸福感など、健康を犠牲にしたことがないか。

・目標を達成できなかったとき、私は幻滅したり、怒りを抱いたりするか。

・結果に関係なく、ただそれを実行することが楽しいという理由で、私が仕事を愉快だと感じたのは、いつが最後か。

・私は、自分の成果をほかの人たちと比較し、他人の成功を妬んで、自分より努力せずに成果を手にしたと考えたことはないか。

・私は、どの程度の成果を手にできれば「十分」と考えるのか。

評価および地位との関係

 尊敬している人からほめてもらえれば、うれしく感じるのは当然だ。私たちは他人に評価されると、自分がほかに類のない、価値ある存在だと思える。名誉ある社交上のグループの一員になったり、大きな影響力を手にしたり、成功に伴って称賛を浴びたりする経験は、時に病みつきになる。

 こうした傾向に拍車をかけているのがソーシャルメディアだ。ソーシャルメディアはユーザーに、自分が地位と名声を持っていると感じさせ、手軽に満足感を与える。フォロワーの数、クリックの数、「いいね!」の数、シェアの数は、いささか倒錯した話ではあるが、社会的評価をたえず追い求め続ける人たちにとって、手の届きにくい社会的評価をもたらす材料になっている。

 しかし、自分という人間に価値があると感じて喜びの感情を抱くだけに留まらず、そのような感情を際限なく追い求め続けるようになると、困った状況になる。称賛を浴び続けるために、自分への注目を集めるための行動に走るようになるのだ。そして、次の称賛を得られるまでの間は、自分の人間としての価値に疑問を抱くことになる。自分は自分でつくり上げたイメージ以上の魅力を持っている人間なのか、自分に寄せられている称賛は現実の自分を反映しているのかと考えずにいられないのだ。

 以下は、あなたと評価および地位の関係を見直すために役立つ問いの例だ。

・私はいつもどのように、重要な人たちから評価を得ようとしているか。

・ソーシャルメディアにおける自分の立場を確認するために、私は時間を費やしすぎていないか。

・自分がもっと評価されるべきだと思っている時に、ほかの人が同じ物事に関して評価されている場合、私は怒りを感じるか。

・私は、自分がどれくらい愛されているかを内心で疑ったり、自分の人間としての価値に疑問を感じたりすることがあるか。

・周囲の人たちに好印象を抱かせて、称賛の言葉を引き出すために、私は会話の流れを操作しようとすることがあるか(さりげなく自慢したり、有力者や有名人とのつながりをアピールしたり、人を出し抜こうとしたりするなど)。

・私は、どの程度の評価と地位を得られれば「十分」と考えるのか。

 誤解しないでほしいのだが、お金や成果や評価そのものが悪いわけではない。これらの要素は、私たち自身やまわりの人たちの人生に好ましい影響をもたらす場合がある。しかし、これらの要素に満足感が依存してしまうと、害が生じるようになる。どれだけ多くのお金や成果や評価を獲得しても、それで得られる満足感は長続きしないので、回し車の上を走るハムスターのように、永遠に快楽を追いかけ続けるはめになるのだ。