
成功しても満足できないのはなぜか
2022年末のある日、私はあるクライアントと年末の振り返りを行っていた。以下では、そのクライアントを「ローガン」と呼ぶことにする。ローガンにとっては大きな成果を上げた1年間だったが、この振り返りの場で彼の口をついて出た言葉は、私が思ってもいないものだった。「だいたいは、満足できる1年でした」と、彼は述べたのだ。
この言葉の真意を尋ねると、ほぼすべての目標を達成し、場合によっては目標を上回る成果を上げたにもかかわらず、達成できずに終わった一つの目標について気に病んでいるとのことだった(実際には、その目標を達成できなくても、この1年間に目覚ましい成功を収めたという事実には変わりがなかったのだが)。私はこの日、ローガンの努力がもたらした成果の数々を振り返って、一緒に喜びに浸るつもりで面談に臨んだのだが、彼自身は、たった一つの目標を達成できなかったという事実により、自分が努力して獲得した成果への喜びを満喫できなかったのである。
私は動揺を抑えると、ローガンにこう尋ねた。「では、その目標を完全に達成できていれば、すべての面で満足できたということですか。逆に、それを達成できなかったせいで、達成した目標のいずれに対しても満足感を抱けないのですか」
すると、さらに強烈な言葉が返ってきた。「失敗したことを満足に感じて、いったい何の意味があるのでしょう」
ローガンだけではない。成功と幸福感の相関関係について間違った認識を抱いている人がしばしばいる。成功しているプロフェッショナルの中にも、自分が成し遂げた成果を喜べない人が少なくない。ある研究によると、成功している起業家の72%は、抑鬱やその他のメンタルヘルス関連の問題に悩まされている。また、企業のCEOで鬱状態にある人の割合は、社会全体の2倍以上に達する可能性があるという。
白状すると、ローガンの言葉を聞いて私の心がざわついたのは、それが自分にも覚えのある感情だったからという面もあった。私自身、ほかの人たちの成果と不健全な比較をしたり、自分が達成できなかったことにばかり目を向けたりして、仕事で成し遂げたことに満足感を抱けないケースがしばしばあったのだ。
ハーバード大学のアーサー C. ブルックス教授は長年にわたり、成果、富、名声と、長期の満足感とを結びつけて考える発想について研究してきた。そのような発想は、避け難いものに思えるかもしれないが、愚かな考え方と言わざるをえない。ブルックスはこう記している。
しかも、この社会には、お金や、高価な玩具、職業上の成功、名声をもっと獲得したいという強迫観念に拍車をかける仕組みがある。私たちの脳の報酬系、とりわけ神経伝達物質のドーパミンは、私たちが目標を追求するよう突き動かし、目標を達成した場合に大きな快感をもたらす。しかし、その快感は長く続かない。私たちの脳は、極端な感情を抱いた場合にバランスを取り戻すようにできているからだ。その結果、最初に快楽をもたらした経験を何度でも繰り返したいという、空しい欲求を抱かずにいられなくなる。
このような依存症的にも見えるサイクルに陥ると、現在の状況が「十分」であるかどうかの判断基準がおかしくなり、自分が達成したものごとが客観的に見て満足すべきものかどうかが判断できなくなる。こうして、ほとんどの人は、お金や地位や名声を追求しても幸せは得られないと直感的にわかっていても、それらを追求することをやめられなくなるのだ。