
人を動かす「魔法の言葉」とは
私たちの行動のほぼすべてに、言葉が関係している。メールに始まり、パワーポイントを活用したプレゼン、電話、ピッチミーティングに至るまで、私たちが誰かを説得したり、ほかの人たちと意思疎通を図ったり、つながりを持ったりする際は、言葉が不可欠だ。
しかし、一口に言葉と言っても、影響力の大きさはまちまちである。特に強い言葉には、人々の考えを変えたり、聴衆を虜にしたり、聞き手を行動に突き動かしたりする力がある。そうした「魔法の言葉」とは、どのような言葉なのか。そして、そのような言葉が持つ力を活かすには、どうすればよいのか。
「行動」ではなく
「アイデンティティ」を表現する言葉を使う
私たちは誰かに何かをお願いする時、動詞を用いることが多い。たとえば、パワーポイントの資料を修正するのを「手伝ってほしい」とか、ミーティングで意見を「聞かせてほしい」といった具合だ。同様に、選挙の投票率を向上させようとするメッセージの場合は、有権者に対して、投票所に足を運んで「投票しよう」と呼びかけるケースが多い。
このように動詞を用いて語ることは、人々に行動を促すうえで理にかなった方法といえる。しかし、言葉の使い方を少し変えるだけで、言葉の影響力をさらに高めることができる。研究によると、「支援する」よう求めるのではなく、「支援者になる」よう促すと、人々が提供する支援は3割近く増えるという。選挙で「投票しよう」ではなく、「投票者になろう」と呼びかけると、投票率が15%上昇したという研究もある。
「支援する」「投票する」といった行動を、「支援者」「投票者」であるというようなアイデンティティの形に変換して表現すると、人々が行動を起こす確率を高めることができる。なぜなら、人はその行動を取ることで、好ましいアイデンティティを獲得するチャンスを得られると考えるためだ。
人は誰でも、自分のことを肯定的にとらえたい。知的で、有能で、人の役に立ち、成果を上げることのできる人物だと思いたいのだ。そうした心理があるために、ある行動を、自分が好ましいアイデンティティの持ち主だと確認する機会だと位置づけることで、人はそれに従って行動するようになる。
話を聞かせたければ、「聞き手になる」よう求めよう。リーダーシップを振るわせたければ、「リーダーになる」よう求めよう。
この手法は、ある行動を取らせたくない場合にも有効だ。人々に非倫理的な行動を取らないよう呼びかけたければ、「不正を働くな」と言うのではなく、「インチキ野郎になるな」と言ったほうが、非倫理的な行動を半分以下に抑えられるという。ゴミのポイ捨てをやめさせたいならどうするか。この場合は、「ゴミをポイ捨てするな」ではなく、「ゴミを散らかす人」と呼びかけたほうがよい。子どもを正直者にしたいならば、「嘘をついてはいけない」と言うよりも、「嘘つきになってはいけない」と言うほうが有効だ。
「行動」を「アイデンティティ」に変換して表現することが有効なのは、人を説得しようとする場合だけではない。2人の人物がいるとしよう。その2人をそれぞれレベッカとフレッドと呼ぶことにする。レベッカはランニングをよく行い、フレッドはランナーだ。あなたは、2人のうちのどちらがより走ることが好きだと思うか。
同じことを表現する場合であっても、たいてい、いくつか表現の仕方がある。たとえば、左寄りの政治的信条の持ち主は、「リベラルな人物」と表現してもよいし、「リベラル派」と表現してもよい。犬が大好きな人は、「犬を愛する人」と呼ぶこともできるし、「愛犬家」と呼ぶこともできる。
些細な違いに思えるかもしれないが、いずれの場合も、後者の言い回しは一つのカテゴリーを想起させる。たとえば、誰かを「リベラルな」という形容詞で描写した場合は、その人物が左寄りの政治信条の持ち主であることが示唆される。それに対し、誰かを「リベラル派」であると描写した場合は、その人物が一つの集団ないし類型に属することが示唆される。あるグループの構成員だと聞かされると、その状態がより恒久的なものに感じられる。
履歴書を書いていて、自分が仕事熱心な人間であることを印象づけたいとしよう。その場合は、自分が「一生懸命働く」人間であると記すより、「ハードワーカー」だと書いたほうが読み手に強い印象を与えられる。同僚の昇進を後押ししたいのであれば、その人物を「イノベーション精神旺盛な」と描写するより、「イノベーター」と描写したほうが強力な後押しになる。
なぜこのようなことを断言できるのか。言語の科学における新しい発見がその根拠にある。近年、自然言語処理、計算言語学、そして機械学習の技術的進歩が著しい。加えて、文書の送付状から日常会話までありとあらゆる言葉のやり取りがデジタル化されるようになったことで、私たちが言葉を分析する能力が目覚ましく向上し、昔とは比べものにならないほど充実した知見を得られるようになったのである。
「魔法の言葉」のパワーを掘り下げて検討することから得られる知見は、「行動」を「アイデンティティ」に転換するという点だけではない。ほかにも多くの有益な知見を引き出すことができる。そのいくつかを紹介しよう。