確信を持って話す

 偉大なリーダーやパワフルな演説家、有名な起業家といった人たちは、カリスマ性があるという印象を持たれている場合が多い。このような人たちが口を開けば、人々は耳を傾ける。この人たちは、セールスの達人であり、複雑な物事をシンプルに語る能力に長けていて、どのような人にも行動を促すことができる。

 しかし、こうした人たちをよく見ると、ある要素を共通して持っていることに気づく。それは、強い確信を持って語っていることだ。自分の主張には疑問の余地がなく、成果は約束されていて、提唱する行動が確実に有効であると語る。たとえば、ファイナンシャルアドバイザー業務のように、客観的な数字が絶対視されるはずの分野でも、強い自信を持って語るファイナンシャルアドバイザーのほうが顧客に支持されるという研究結果がある。

 語り手が自信を持って話せば、聞き手はその人物の言っていることが正しいと考える可能性が高まる。どのファイナンシャルアドバイザーが最も役立つアドバイスをしてくれるのか、前もって確実なことは言えない。しかし、ファイナンシャルアドバイザーが確信を持って語れば、その人物の言葉が間違っているのではないかとはあまり思われない。自信満々に見えるからだ。

 ところが、ほとんどの人は、確信を持って語るのではなく、その正反対の話し方をしてしまう。チームのリーダーとしてリーダーシップを振るう際や、顧客への売り込みを行う際にも、私たちは自分の言葉に予防線を張りたくなることが多い。「この方法でうまくいくかもしれません」「この戦略が有効だと思います」「私には、これが最善の行動に思えます」などと言う。 

 このように予防線を張ることが好ましい結果につながる場合もあるが、言葉のインパクトは弱まる場合が多い。この種の言い回しを用いると、聞き手が助言に従わなかったり、提案を採用しなかったりする可能性が高まる。語り手が自信なさげに見えてしまうからだ。

 では、いついかなる場合にも、予防線を張る言葉を発してはならないのか。そこまで言うつもりはない。しかし、その類いの言葉を慎重に用いるべきであることは間違いない。確信がないことを聞き手に伝えたいのであればそれでかまわないが、そうした言葉遣いに慣れると、特に何の意味もなく、そのような言葉を発するようになる。それは好ましくない。

 実は、発言の説得力を弱めずに、不確実性を相手に伝えることのできる表現もある。たとえば、筆者らの共同研究によれば、一般論として断定を留保する言葉よりも、個人の認識として断定を留保する言葉のほうが説得力を持つ。たとえば、「このやり方がうまくいくように見える」よりも、「私には、このやり方がうまくいくように見える」と言ったほうがよい。そのほうが自信を持っていそうに聞こえるからだ。話し手がそれなりの自信を抱いていて、主張を自分自身と結びつけることができるのだろうと聞き手は感じる。その結果、聞き手が話に耳を貸す可能性が高くなる。

 同様に、強い確信を聞き手に伝えたい場合は、確実性を表す言葉を用いよう。たとえば、ある人物が「必要不可欠」な人材だとか、ある戦略が「言うまでもなく」有効だとか、ある行動が「明らかに」最善だと述べれば、あらゆる疑念を消し去れる。

 このように確実性を表現する言葉は、物事が完全に明確だというメッセージを伝えることができる。語り手が自信を持っていて、どのような行動を取るべきかがはっきりしているという印象が生まれるのだ。その結果、聞き手は語り手の言うことを聞き、その提案に従う可能性が高まる。