
退職後への備えを台無しにする
401k積立金の引き出し
統計的に見れば、あなたは引退するまでに何度か職を変わる可能性が高い。実際、ピュー・リサーチセンターの調査によると、2022年だけで米国人労働者の30%が転職しており、その大半は給与アップのためと考えられている。
しかし転職は、好きなタイミングで引退して、好きなライフスタイルに切り替える力を損なう危険性をはらんでいる。なぜか。その理由は、職場を去る際に確定拠出年金401kの積立金を全額引き出して現金化してしまう人があまりにも多いこと、そして雇用主もそれを阻止しようとしないことにある。
2021年のバンガードのデータによれば、55~64歳の401k口座残高の中央値は8万9716ドルだった。この額では、たとえパートナーの退職金積み立てや社会保障、その他退職関連の収入があったとしても、中流階級の人にとって十分な額とはとうていいえないだろう。
雇用主や金融サービス業界、個人資産運用の専門家たちは、雇用主が掛け金を拠出してくれる退職金制度を活用して退職金を積み立てておくよう強く推奨している。また最近は、優秀な人材を引き寄せてつなぎ止め、退職後の経済的安定を保証すべく、手厚いマッチング率を設定している企業も多い。だが、そうした状況にもかかわらず、401k口座の残高が少ないという事態が生じている。
もっとも、在職中の積立額にばかり目を奪われていると、重大な事実を見落としてしまう。米国では、在職中のどのタイミングでも、あるいは退職する時点で、口座残高を引き出して現金化することができる。企業が退職者にこの選択肢を提供することが認められているのは、先進国の中でも米国だけだ。引き出した額には所得税が課され、59歳6カ月よりも前に引き出した場合は10%のペナルティも科される。
よくあるのが、転職する際に401kの口座残高を引き出すことで、在職中の積み立てが霧散してしまうケースだ。この点を問題視している雇用主はほとんどいないが、従業員が下す決断の中でも、これほど退職後への備えを台無しにする判断はない。
残高を引き出す理由とタイミング
退職時の401kの残高引き出しがどの程度行われているのか理解するために、筆者らは最近、米国内の退職者16万2360人を対象に調査を行った。対象者は新型コロナウイルス感染症が流行する前の2014~16年の3年間に勤め先を去った人々で、利用していた退職金制度は28種類にわたる。
衝撃的なことに、退職直後に401k口座の積立金を引き出した人は、41.4%に上った。同じく驚きだったのは、そのうちの85%が全額を引き出していたことだ。
本当に、そのような必要性があったのだろうか。正確なことは知る由もないが、退職や失業の際に口座残高を引き出すことが望ましい、あるいは必要だと考えるのは、論理的な帰結とは言いがたい。
この点は、筆者らの調査でも、最近のデータからも明らかだ。たとえば、筆者らの調査対象者のうち、失職した人(自発的な退職ではなく)は27.3%にすぎないと推定される。また、米国以外の国々では、失業期間が何カ月も続き、生活が苦しいことを示す明確な証拠がなければ、確定拠出年金の積み立てに手をつけることは認められない。
しかも、米国ではコロナのパンデミックの最中に失業者数が大幅に増加したにもかかわらず、積立金の引き出しは横ばい、あるいはわずかな減少に留まったことも、業界の調査で明らかになっている。新たに急増した失業者たちは、難局をどうやって乗り越えたのだろうか。
彼らはライフスタイルの一時的な見直しやギグワーク、公的給付などを組み合わせて難局に対処した。その際、参考にされたのが、チャールズ・シュワブ財団のキャリー・シュワブ・ポメランツ会長などからの呼びかけだった。コロナウイルス支援・救済・経済保証法(CARES法)によって、パンデミック下での積立金引き出しに関する制限が緩和されたが、ポメランツはそうした仕組みを利用しないようアドバイスしていた。