あの人には「レジリエンスがある」と勘違いしていないか
Illustration by Mark Harris
サマリー:レジリエンスの有無に関して、人はそれぞれにバイアスを抱えている。たとえば、あなたがある人に対して、レジリエンスがあるから大丈夫だと見なしていても、当人は大丈夫だと感じていないことがある。本稿では、この... もっと見るようにレジリエンスに関するバイアスの存在を認識することの重要性を説く。特にリーダーには、バイアスの存在を意識して、意思決定を下すことが求められている。 閉じる

レジリエンスについてのバイアスを正す

 仕事でいつになく困難な1週間を過ごした後、私はある友人に、チームと私に起きたことについて話をした。

 私は共感、もしくは少なくとも同情してもらえると期待していた。その友人は温厚かつ親切で、組織を率いる重圧も知っている。そのため、彼からそのどちらでもない反応が返ってきたことに驚いた。「もっとひどい経験をしてきただろう」と彼は言った。「今回のことは、君にはたやすいはずだ」

 その言葉の真意を尋ねると、彼は私の人生経験を指摘した。日々の人種差別や偏見に耐えられるなら、リーダーシップにまつわる浮き沈みは、それに比べれば楽なはずだと彼は言った。

 この会話に私は納得がいかず、数週間、その理由を探ってきた。そして、行き着いた考えはこうだ。社会の主流に属さない人々が特有の苦難に耐えていることは事実であり、少数派と目される人々はレジリエンス(ストレスに満ちた状況から回復し再起する力)をより深く蓄えている。つまり、主流派に比べてレジリエンスが高いことが科学的にも実証されている。だが、レジリエンスに対しては文化的なバイアスがある。それが私たちや組織に悪影響を及ぼしている。

 たとえば、リーダーが周縁化されたコミュニティ出身の人々ならではの苦難に配慮しないままレジリエンスを高めることを奨励すると、個々人が耐えていることについて話したり、行動を起こしたりしづらい状況をつくるおそれがある。なぜこのように事が複雑化するのか。その要因の一つは、周縁化されたコミュニティ出身の人々が、不要な苦難を当たり前のことと受け止めてしまいがちであることだ。したがって、苦難に直面しても、レジリエンスをすでに有しているがゆえに、従来通り我慢をするなどの対処に終始してしまう。

 優れたリーダーであれば、周縁化されたコミュニティ出身の従業員がそのアイデンティティゆえに超人的なレジリエンスを持っていると決めつけたりはしない。そうした思い込みは従業員をリーダー自身とは違うコミュニティに属するステレオタイプな人、すなわち他人化することにつながり、結果的に必要なサポートを提供できなくなる。

 先述の友人とのやり取りで、私が仕事で抱えていた課題について掘り下げる機会はなかった。私が有しているレジリエンスをもってすれば、気力と忍耐力だけで事態を乗り切れるはずだと友人が思い込んでいたからだ。

 レジリエンスという言葉はあまりにも広く浸透し、私はもう2度と耳にしなくてもかまわないと思うようになった。レジリエンスのワークショップにワークブック、レジリエンスシャンプーやコンディショナー、最高レジリエンス責任者、レジリエンス企業賞まである。この言葉が乱用され、もはや明確な意味を持たなくなったと主張する人さえいる。

 しかし、ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン(DEI)の観点からは、 レジリエンスに関するバイアスを理解し、それがどう意思決定に影響を及ぼし、どのようにして多くの場合に不決断や怠慢につながるのかを理解することが極めて重要である。

 「たらいの水と一緒に赤子まで(レジリエンスがあると思いながら)流してしまう」前に、つまり、重要なものと不要なものを一緒くたに捨ててしまう前に、リーダーが取ることのできる3つのステップを紹介しよう。レジリエンスについての考え方を変えることで、バイアスとその結果として生じる不公正を回避できる。