また、CEOが現場から切り離されると、自社の業務の細部を肌で感じることもできなくなる。ささやかではあっても有意義なイノベーションを実行する機会や、上層部主導の変革プログラムに欠けている手軽な問題解決策、変革を目指すプランを採用するに当たっての思わぬ障害と、思いがけない支援者の存在は、CEO専用の個室オフィスに閉じこもっていては見えてこない可能性があるのだ。
筆者は数年前、ダヴィータというヘルスケア企業が目を見張る経営立て直しに成功した事例について研究したことがある。この会社は、腎臓病患者のための透析サービスで全米第2位の業者だ。つまり、末期の腎臓病患者の治療を担い、患者の命に関わる業務に携わっている会社といえる。
当時のCEOケント・ティリは、苦境に陥っている会社を変革しようと、あらゆる大規模な戦略上のアイデアと、劇的な文化変容の取り組みを支持した。この取り組みは最終的に大成功を収め、有名投資家のウォーレン・バフェットも同社に巨額の投資を行い、同社の事例はビジネススクールのケーススタディ教材にもなった。
この立て直しのプロセスの初期に、ティリーは「アドプト・ア・センター」というプログラムを設計した。同プログラムでは、CEO自身も含む上級幹部に対して、自社が有する透析センターと個人的なつながりを育むことを義務づけた。具体的には、その透析センターで時間を過ごし、施設のスタッフや患者たちのことを知り、医療関連の資格がなくてもできる業務を実際に行うものとしたのだ。
筆者は最初にこの計画について聞かされた時、幹部が現場の従業員にビジネスの基礎を教えることを目的にした取り組みなのだろうと思い込んだ。当時の同社は、財務面で窮地に追い込まれていて、切羽詰まった状態にあったからだ。しかし、プログラムの目的はまったく違った。この活動の狙いは、逆に現場のスタッフが幹部たちに、自社の事業がいかに重要なものかを教えることにあった。同社の「顧客」たちは、文字通り命賭けの戦いをしていたのである。
やがて財務状態が安定してくると、ティリーは上級幹部たちへの要求水準をさらに引き上げ、「リアリティ101」という正式なプログラムを開始した。副社長以上の肩書きを持つ幹部全員が透析センターの最前線で1週間過ごすことにしたのだ。機器類の設置と片付けを行ったり、血圧のモニタリングなどの基礎的な処置の手伝いをしたりすることを通じて、誰でも経験するような気持ちの浮き沈み、そして笑いと涙を経験させようというわけだ。
このプログラムは、透析センターで上級幹部と一緒に働いた現場のスタッフに大きな影響を与えた。同じ会社で働く同僚というよりも、組織図上の名前としか思えなかったような人たちと間近で過ごすことを通じて、それまで現実味を感じられなかった変革の計画について、大局的な視点を持てるようになったのである。
しかし、この取り組みにより、思考方法を激しく揺さぶられて、それまでの思い込みを打ち砕かれたのは、自社の事業の人間的側面を経験した上級幹部たちだった。
ティリーに言わせれば、時に規模の大きな組織が長期にわたって成功し続けることを妨げる要因の一つは、幹部たちがビジネスの現場で起きていることと隔絶し、現場の人たちが本部の人たちに苦闘と問題を理解してもらえていないと感じることだ。
「リアリティ101」は、自社の人々と患者の間だけでなく、自社の上層部と現場スタッフの間に共感を育むべく、同社が実行している数々の取り組みの一つだ。
「幹部たちだけを対象とした取り組みしか行なっていなければ、このような成果は得られなかったでしょう」と、ティリーは筆者に語った。「変革のカギを握るのは、現場の人たちが職場の変革という可能性に胸を躍らせて、そのような職場の一員になりたいと思い、それが幹部たちにも波及することです。このプロセスで『改心』した幹部の3分の2は、
本稿で述べてきたことは、極めて強力な発見といえるだろう。このアプローチは、顧客にコーヒーを提供するビジネスであろうと、利用客を自動車で運ぶビジネスであろうと、透析によって人々の命を救うビジネスであろうと、あらゆる業種の企業の幹部にとって効果がある。
変革の実現は、トップダウンのプロセスであると同時に、ボトムアップのプロセスでもある。したがって、変革のアイデアに現実感を持たせ、人々の情熱を解き放つことが求められる。
目指すべきは、あらゆる組織階層の従業員を、とりわけ現場の働き手たちを教育し、その人たちの活動を活性化させ、目指している変革の有効性を理解させること。そして、幹部自身が現場の人たちの経験に基づく実践的な知恵を学び、自分自身の活動を活性化させることである。素晴らしい変革の青写真を描いていたとしても、現実をある程度学ぶことの恩恵はたしかにあるのだ。
"CEOs, Step into the Front Lines, or Risk Losing Touch," HBR.org, May 24, 2023.