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情熱を重視しすぎた結果、見落とされているもの
仕事への情熱がパフォーマンスの原動力となっている従業員を求め、そのモチベーションを奨励し、育てる戦略に投資する企業が増えている。このテーマについての研究結果は明確で、情熱的な従業員は生産性、革新性、協調性が高く、組織に対するコミットメントも高い。情熱を育むことは、持続的な成長、革新、成功を目指す組織にとって絶対の戦略だ。
しかし、情熱を育むことを追求する中で、雇用主は経済的安定、社会的地位、家族への義務など、ほかの動機を持つ従業員のニーズを見落とし、軽視している可能性があることが、筆者らの最近の調査で明らかになった。こうした従業員は会社の成功に重要な役割を果たしているが、仕事に対する情熱がないと思われているために、目に見えないペナルティを課せられている可能性がある。
仕事を愛することが「道徳化」される
規模や業種の異なる複数の組織の正社員1245人を対象とした筆者らの調査で、現代の職場における新たな現象が明らかになった。自分の仕事を愛するほど、仕事を道徳的な義務だと考えるようになるのだ。仕事に情熱を抱いている従業員ほど、「個人的な喜びのために働くことは道徳的美徳である」「内発的に動機づけられることは道徳的である」といった言葉に強く同意した。こうした人々にとって、仕事を愛することは個人的な充足感を超えた道徳的意義があり、同僚の仕事の動機を自分の道徳的尺度に照らして判断したり、「同僚は『正しい』理由でここにいるのか」と考えたりする傾向が強かった。
仕事を愛することを道徳的義務として重視することは、広い意味を持つ。筆者らの調査は、自分の仕事を愛している人ほど、外的報酬のために働くことを好ましく思わない傾向があることを示唆している。「内発的に動機づけられることは道徳的である」という言葉に同意した人は、「お金のためだけに仕事をする人は道徳的な従業員ではない」「外的報酬によって動機づけられる従業員は不道徳な傾向がある」といった言葉も支持した。
重大なことに、こうした人格の判断は、ある結果をもたらすとわかった。仕事を愛する従業員は、道徳的により優っていると考える情熱的な同僚を助けることを優先した。一方、他の理由で働く従業員は、情熱的な同僚から支援を受けず、組織内での昇進が難しくなり、重要なプロジェクトから排除されやすかった。
こうした扱いは、従業員の士気、定着率、組織全体の業績に深刻な影響を及ぼすおそれがある。対照的に、外的報酬のために働く従業員は、働く理由に関係なく、同僚を平等に扱っていた。