なぜ最高データAI責任者は失敗するのか
Paseika/Getty Images
サマリー:データ、アナリティクス、AIの最高責任者(CDO、CDAOまたはCDAIO)の存在を求める企業が増えている一方、これらの役割を担う人々の多くが失敗を余儀なくされている。その原因は、間違った焦点と信頼の欠如にあるとい... もっと見るう。そこで本稿は、この状況を打開するために企業が実践できる5つの対策を紹介する。 閉じる

データ、アナリティクス、AIの最高責任者の苦難

 データ、アナリティクス、AIの最高責任者(CDO、CDAOまたはCDAIO)は、ただでさえ立場が微妙な役割だが、2023年に入ってからますますその地位が不安定になっている。多くの企業で、データとAIを統括する幹部職の離職や再調整が見られるのだ。

 これらの役割は、まだ比較的新しい。CDO(最高データ責任者)という役職は、2008~2009年の金融危機を受けて大手銀行で設置され、その後に製薬、医療、消費財、エンタテインメント、連邦政府などさまざまな業種に広がった。

 アンケート調査のデータによれば、2012~2023年の間にCDOを設置した企業は12.0%から82.6%に増えている。時とともにその責任範囲は拡大し、アナリティクス(CDAO:最高データアナリティクス責任者)と、AI(CDAIO:最高データAI責任者)を含むようになった。

 ところが、大手企業のうち、これらの役割が成果を上げて確立されていると答えた割合は35.5%にすぎず、CDAIOの役割が社内で十分に理解されているとした回答は40.5%に留まっている。明らかに、何かがうまくいっていない。

 一部のデータおよびアナリティクス責任者にとって2023年は、この役割が地味だった最初期の頃を彷彿とさせることだろう。金融の混乱と生成AIの爆発的普及によって、彼らは成長や顧客獲得、新しい製品・サービスの創出といった前向きな取り組みよりも、リスクと規制に関する防衛的な仕事への注力を余儀なくされている。

 経営陣はCDAIOに対し、変革の可能性を秘めた生成AIの能力を運用すると同時に、リスクを避けることを要求している。膨大なチャンスとリスクをもたらすテクノロジーにおいて双方のバランスを取るのは、プレッシャーの大きい仕事である。

 CDAIOを必要とする企業が増える中、この役割はかつてないほど困難な任務を負っており、しばしば失敗を招く。本稿では、この状況を打開するために企業が実践できる5つの対策を紹介する。

CDAIO職の何が問題なのか

 筆者らは、CDAIO職の始まりと進化を直接目の当たりにし、そこに参加もしてきた。ランディは20年以上にわたり、大手企業を対象にデータとアナリティクスの活用に関するアドバイザーを務めてきた。アリソンは5年にわたり勤勉なCDOを務め、現在はビジネス価値の提供方法についてCDAIOと企業に助言している。

 CDAIOという役割をまっとうすることが不可能に感じられる点には、筆者らも同意する。だが一方で、現在の世代のCDAIO職には、より効果的で優れた仕事をするための土壌もあると考えている。

 CDOの第1世代は、医療や金融といった規制業界の大企業に雇われることが多かった。当初、この役割はビジネス職というより、管理とリスクに焦点を当てる防衛的な職として理解されていた。どちらの職種であっても、同じデータとアナリティクスのスキルを使うにもかかわらずだ。

 銀行で不正パターンを検出するために使われる取引データは、既存顧客や潜在顧客のニーズを明らかにする目的でも使われるが、投資対象とされたのはデータによるニーズの掘り起こしではなく、防衛的な施策だった。

 やがて、焦点がデータの商業化へと移ると、企業は往々にしてそれをビジネス課題としてではなく、テクノロジーと人材の問題としてとらえるようになった。そしてテクノロジーと人に大きく投資し、データインフラを構築し、データエンジニアとデータサイエンティストのチームを編成した。だが、ビジネスとの関連性と、ビジネス上の最も重要な問いには十分に焦点を当てなかった。

 その結果、企業は最終的に、望んだものを得ることができなかった。データとアナリティクスへの投資から、何らかの測定可能な価値を得たと回答した企業は91.9%を占めるものの、データドリブンな組織を築いたと答えた企業は23.9%という悲惨な結果であり、データ文化を構築したと答えた企業は20.6%とさらに少ない。

 CDAIOは、多大な投資と社内全体への普及を要する大規模施策の責任を負わされているが、目に見える成果を実現できないことが多い。要求されたことをその通りに遂行した場合でも、成功を主張するのは難しいかもしれない。

 筆者らは、2つの大きな要因がこの状況を招いてきたと考えている。それは「間違った焦点」と「信頼の欠如」だ。