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CEOも感情労働を強いられている
米国の社会学者アーリー・ホックシールドは、さまざまな職について回る感情面の負担に光を当てるために、「感情労働」という概念を提唱した。たとえば、集金人は集金先の人たちに嫌な思いをさせて、不快感を示されることが日常茶飯事であり、医師は厳しい診断結果を伝えた患者たちの心の痛みに向き合わなくてはならない。サービス関連の仕事に就いている人はほぼ例外なく、動揺したり怒りを抱いたりした顧客と接するという感情面の試練を味わうことになる。
その点、CEOという仕事には、激しい感情労働を強いられる職種というイメージがあまりないかもしれない。強大な権力を握り、高給を受け取っているCEOたちは、感情面で重圧にさらされるより、ほかの人たちに感情面のストレスを与える存在だと思われがちだ。
しかし、実際には、CEOの役割を果たすために、かなりの感情労働が要求される。多くの周りの人間がそのことに気づいていないだけだ。
CEOは、内心では確信が持てない時でも、公の場では自信満々に振る舞うことが期待される。また、一部の関係者の不満を買うことが避けられない決断を下し、その責任を引き受けなくてはならない時もある。それに、ほかの人に責任があったとしても、悪い結果が生じた場合には責任を問われることになる。
CEOは会社の象徴的存在なので、人々が会社に対して抱く不満──職場での処遇に関する不満に始まり、会社の業績に関する不満に至るまで──の標的にもなる。感情面で取り乱している社員がいれば、思いやりのある態度を取り、慰めなくてはならない。加えて、自分自身のニーズよりも会社のニーズを優先させて行動することも求められる。そのうえ、世間の監視の目にさらされることにも耐えなくてはならない。それは、激しい消耗を強いられる経験であり、時に痛みを伴うこともある。しかも、こうしたすべてのことを実践しつつ、本当の自分を隠しているような印象を与えることは避けなくてはならない。けれども、そうやって本当の自分を見せれば、不安を感じることもある。
CEOの役割に関わる不文律の一つは、その職務を果たすことに伴う感情面の代償について語るべきではない、というものだ。このルールを破ったCEOは、たちまちそのツケを払わされる。
2010年春、エネルギー大手BPが保有するメキシコ湾の石油掘削施設から原油が流出する事故が発生した。この時、BPのCEOを務めていたトニー・ヘイワードはテレビのインタビューでこう語った。「私は誰よりも、この問題の収束を望んでいます。自分の生活を取り戻したいのです」。この発言に対しては、非難の大合唱が湧き起こった。ヘイワードの振る舞いは、11人の油田労働者の命を奪い、メキシコ湾の生態系に大きなダメージを及ぼした悲劇の最中に同情を買おうとしたと見られてしまったのだ。
その数週間後、数少ない休みの日に、ヘイワードが息子と一緒にヨット大会に参加していたことが明るみに出た。この件は、ホワイトハウスの高官からも批判された。ヘイワードがCEOを更迭されたのは、その5週間後のことだった。
筆者は、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の「新CEOワークショップ」の研究者メンバーとして、あるベンチャーキャピタル会社の会長として、そしてさまざまな企業の取締役として、これまで多くのビジネスリーダーたちと関わってきた。その経験を通じて、ここ数年間は特に、途方もない感情的重圧に苦しむCEOたちを目の当たりにした。
大不況(グレートリセッション)が終わった後、コロナ禍が始まるまでの時期は、多くの企業にとって特筆すべき平穏と繁栄の時代だったと、のちのちまで記憶されるだろう。金利水準は低く、経済は堅調に成長し続けていて、株式市場も好調だった。後から振り返ると、それはCEOたちにとって夢のような日々だったといえる。しかし、最近、CEOたちは過去にないほどの試練に直面しており、その結果としてCEOに要求される感情労働も増大している。