ウィキペディア創設者が語る「信頼のつくり方」
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サマリー:「世界中の人々が協力し合い、事実上あらゆるトピックを網羅する正確なオンライン百科事典をつくり上げる」というウェキペディアの発想は、設立当初、実現不可能だと思われていた。しかし現在では、引用元が明示された信頼できる情報源として定着している。その成功の背景には、明確なパーパスの導入や厳格な行動ルールの徹底、そして透明性の確保があった。本稿では、共同創設者のジミー・ウェールズが、寄稿者との信頼関係をいかに構築したか、また誤情報やAIが台頭する現代において、組織がいかに信頼を維持すべきかについて話を聞く。

 2001年にウィキペディアが設立された当初、世界中の人々が協力し合い、事実上あらゆるトピックを網羅する正確なオンライン百科事典をつくり上げるという発想は、実現不可能に思えた。しかし今日、多くの人々はこのウェブサイトを、適切に管理され、引用元が示された信頼できる情報源として捉えている。これは、ウィキペディアのリーダーたちが運営方法について慎重な決定を下した結果によるものである。

 共同創設者であるジミー・ウェールズは、シンプルなパーパスの導入や特定の行動ルールの徹底といった戦略が、寄稿者やユーザーとの信頼の構築にいかに役立ったかを説明する。さらに、誤情報が氾濫する世界にあっても信頼を維持できている理由を語っている。ウェールズは、The Seven Rules of Trust: A Blueprint for Building Things That Last(未訳)の著者でもある。

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アリソン・ビアード(以下色文字):アリソン・ビアードです。

アディ・イグナティウス(以下色文字):アディ・イグナティウスです。HBR IdeaCastをお送りします。

 さてアディ、新しい情報源がオンライン上に登場して世界中の人々にとって頼れる存在となり、時には教授や上司のいら立ちの種となるものの、誰もが知る存在となり、インターネットを本当に変えた瞬間を思い浮かべてみてください。

 ということは、またAIの話ですね。

 実は、私がお話ししているのはウィキペディア、オンラインのクラウドソース型百科事典のことです。長い間、多くの人から懐疑的な見方をされてきましたが、今日では、かなり信頼できる情報源と見なされています。インターネット上にポジティブなものを生み出した組織の一例です。そして今日のゲストは、ウィキペディアの共同創設者、ジミー・ウェールズ氏です。

 面白いですね。私が『タイム』誌にいた頃、ジミー・ウェールズ氏にインタビューしたことがあります。当時、ウィキペディアは設立されたばかりでした。そして、私は実際に彼に異議を唱えようとしました。私の父(元米国海軍長官)に関するウィキペディアの項目があり、何度も改訂版がつくられていましたが、その中には完全に誤った事実が含まれていました。私が彼に異議を唱えると、ウェールズ氏は「ええ、そうかもしれません。でも、最終版は正しかったでしょう」と返しました。そして彼は、自身が『タイム』誌のインタビューを受けた際、『タイム』誌がいくつかの事柄を誤ったまま伝え、それが紙媒体として永遠に残ってしまったことを引き合いに出しました。その時、私は悟ったのです。なるほど、ウィキペディアこそが未来だと。

 ウィキペディアのポイントは、あなたが自分でそのページにアクセスし、お父様についての項目を訂正し、あなたの認識こそが真実であることを証明するための適切な引用元を設定できる点です。ウェールズ氏もその点を主張していると思います。彼は、明確なパーパスを持ち、関わるすべての人に明確な規定がある組織をつくりました。その結果、質の高い「プロダクト」が生み出されているのです。 彼はThe Seven Rules of Trust: A Blueprint for Building Things That Last(未訳)という新刊を出しました。あらゆる組織のリーダーに対し、社内だけでなく、ユーザーや顧客と信頼関係を育む方法について、多くのアドバイスを提供しています。ジミーさん、番組にご出演いただきありがとうございます。

ウィキペディアが信頼を構築した方法

ジミー・ウェールズ(以下略):お招きいただき、ありがとうございます。お会いできて嬉しく思います。

 現代のビジネスリーダーは、社内のチームや顧客、あるいはその両方との信頼関係の構築に苦戦していると感じますか。そして、あなたはそれを問題として捉えていますか。

 それは本当に重要なことです。これがどれだけ問題であるかは、それぞれのビジネスや状況によって異なります。しかし私は、まず第一にスタッフ、顧客、パートナー(それが誰であれ)と真の信頼の基盤を築くことができなければ、他のあらゆることがうまく進まず、コストが増加し、そして成功は望めなくなると考えています。

 それはどのような起業家も最初から考えるべきことであり、組織のリーダーはいますぐ真剣に検討すべきことだとお考えですか。

 ええ、極めて重要です。考えてみてください。過去20年間のエデルマン信頼度調査を見ると、社会全体で信頼が低下していることがわかります。これには、ビジネスに対する信頼、ジャーナリズムに対する信頼、政治家に対する信頼などが含まれます。そして、お互いに対する信頼度も低下しており、これは特に残念なことです。

 それにもかかわらず、私たちは、信頼できる人々のそばにいること、そして自分自身が信頼されることがどれほど重要であるかを、子どもの頃から直感的に理解しています。ですから、私の著書のポイントは、「どのように信頼を築くのか。信頼の文化を創造するために、私たちに必要なことは何だろうか」と考えることにあります。

 著書の中では、エアビーアンドビーの物語について言及しています。彼らはかつて信頼を脅かす深刻な危機に直面しました。ある女性が自分の家をゲストに貸し出したところ、そのゲストが家をめちゃくちゃにしてしまったのですが、それに対してエアビーアンドビーは当初、あまりよい対応をしませんでした。彼らにとってすべてが初めてのことで、適切な計画を立てていなかったのです。そして彼らは、信頼に関する問題を根本的に解決しなければ、ビジネスは成り立たないということを早い段階で認識しました。

 他人を自分の家に泊まらせるなんて、それ自体が大変なことです。「もし家を荒らされたら、エアビーアンドビーは何かしてくれるのだろうか。そもそもこの人たちは誰なのだろう」などと考えてしまうでしょう。そこで彼らは、信頼を築くためにビジネスについて変えるべきことは何であるかを突き止めようと、大規模な取り組みを行いました。そして、ご存知の通り、彼らは非常に大きな成功を収めました。そして、それは多くのケースに当てはまると思います。

 つまり、信頼を失うことはありますが、正しいことをしようと努力し、慎重に取り組めば、信頼の回復も可能だということですね。あなたがウィキペディアを立ち上げたのは、エアビーアンドビー、イーベイ、ウーバーが登場するずっと前のことでした。ですから、専門家ではない人々から情報を集めているのに、どうしてこれが信頼できる情報源になりえるのかと、多くの人が疑問に思っていました。なぜ、ウィキペディアのようなクラウドソース型プラットフォームが、これほど信頼される情報源になれると考えたのですか。

 知っていたかどうかはわかりませんが、仮説は立てていました。しかし私はまた、よりよい品質を生み出すためのプロセス、手順、そしてルールは何かを解明するために、多くの作業が必要になるだろうということも理解していました。

 私たちは百科事典の『ブリタニカ』か、それ以上の品質であることを常に目標としていました。これは、何を意味するのでしょうか。つまり、情報源に注意を払うこと、中立性に注意を払うことといった、あらゆることに配慮することを意味します。そして、それらはまさにウィキペディアの最初期からの基盤となる原則でした。

 しかし、もう一つ重要な側面は、ウィキペディアがどれほど信頼を得られているかということです。それは私が何年も前にウィキペディアの自分の個人ユーザーページに書いたアイデアです。「このページを編集できます。私はあなたを信頼します。あなたのよい行いで、内容を改善してくれると信頼しています。そして、どうか悪いことはしないでください。それは失礼で迷惑なことです」と。そして概ね、それはうまくいっています。もちろん、神経質すぎてもいられません。ウィキペディアについて人々が理解するようになったことの一つは、人々が勝手気ままに何でも書き込める野放し状態ではないということです。私たちには情報源に関するルールを持っています。不適切な行動を取れば、ブロックされることもあります。そして、そこには多くの階層があります。

 なぜ人々が、無給で、見知らぬ人々と協力し、時間とエネルギーを費やすことに興味を持つだろうと考えたのですか。

 もちろん、それはワールドワイドウェブが普及し始めたばかりの楽観的な時代のことでしたが、私自身の経験からわかっていました。私は個人的に哲学に興味があり、専門として金融を学んでいました。かなり著名な大学の教授にさえ、思慮深く、興味深い質問を尋ねるメールを書けば、彼らは答えてくれることを理解するようになりました。そして、彼らは多くの時間を割いてくれます。なぜなら、人々はそのような交流を好むからです。人々は、他者と気持ちよく、知的な方法で交流することを楽しむのです。私は、そこに見られる寛大さを確認できましたし、それは今日でも確認できます。

 もちろん、私たちは最近、ソーシャルメディアの毒性について嘆いており、それについては言うべきことがたくさんあります。しかし、私たちはまたオンライン上に、人々がみずからの時間を信じられないほどかけてくれる、寛容な場所を見つけることもできます。それはレディットでも同じです。

 私がレディットで見るのが好きなグループの一つに、個人金融に関するサブレディットがあります。そこでの典型的な投稿は、「私は18歳で、疎遠になっているアルコール依存症の父が私の社会保障番号を盗用し、私の名前でクレジットカードを申請したことがわかりました。これは支払う必要がありますか。どうすればよいですか」といったものです。すると人々は、「あなたがすべきことはこれとこれです。投稿履歴からあなたがカリフォルニアにいることがわかるので、この詐欺対策窓口に電話してください」と教えるでしょう。私は、これを「素晴らしい」と思います。彼らはただ座って、「助け方を知っている。手伝えるぞ」と言っている見知らぬ人々なのです。そして、彼らは実際に、そのように行動してくれるのです。

 私たちはその精神をウィキペディアでも常に感じています。ウィキペディアを訪れる人は、多くの場合、特定の分野に興味を持っています。つまり、本当にニッチなこと、たとえば、電車に熱中している人々など、です。そして彼らは、ウィキペディアにあるかなりニッチな歴史の一部に対し、貢献することを楽しんでいます。それは単に「素晴らしい。これで世界が少しよくなった」と思うからです。しかしまた、彼らは同じテーマに興味を持つ他の人々に出会うことができ、「1930年代の機関車に興味を持っている人がこんなにいるとは知らなかった。同志を見つけた。素晴らしいことだ。これこそ、ウィキペディアの本当に素晴らしい部分だ」と感じるのです。

 私は非常に楽観的な人間です。そして、その楽観主義は実を結びました。もし、人々に信頼の手を差し伸べ、「一緒に素晴らしいことをしよう」と言えば、多くの人々が「それは私がやろうとしていたこと(たとえばツイッター<現X>で人々に怒鳴ること)よりもずっとよさそうだ」と言うのです。それで彼らはやってきて「こちらの方が楽しい」と感じるのです。

 では、なぜ非営利団体にすることを選んだのですか?それは、特にユーザーと信頼を構築するうえで、カギとなりましたか。

 ウィキペディアのごく初期は、オープンソースでした。しかし、もちろんオープンソースソフトウェアの世界には、非営利団体もあれば、営利企業もあります。オープンソースをサポートするあらゆる種類のビジネスモデルがあります。そして、当時、何が最良のモデルになるかについて、私は明確な見解を持っていませんでした。しかし、すぐに「ウィキペディアに広告を入れたくない」という結論に至りました。これは、中立性や客観性について、あらゆる疑問を投げかけます。想像してみてください。ある企業のページに行った時に、その企業や競合他社の広告が表示されていたら「これはスポンサーつきコンテンツなのだろうか。何だろう」と疑問に思うでしょう。

 私はウィキペディアを「心の拠り所」と考えています。ただ読んで、考え、学び、思索するための場所なのです。世界中のすべての商業的なものには関心がありません。私は商業的なものを否定しませんが、ウィキペディアにはふさわしくありません。そして、多くのボランティアが非営利団体であることを望んでいました。彼らはそれがよりよい方法だと考えたのです。そして、それは間違いなく多くの忠誠心を生み出すのに役立ちました。私たちの組織のあり方は、非常にコミュニティ志向です。理事会の半数はコミュニティによって選出されます。そして、ウィキメディア財団(ウェールズが設立し、ウィキペディアを所有・運営する慈善団体)が、品質やコミュニティなどに関する私たちの伝統的な価値観から逸脱しないようにするために重要な詳細な約束事を数多く持っています。

 それでは、ウィキペディアを成功させ、他の組織が信頼を築くために必要だとあなたが考え、著書で言及された7つの原則についてお話ししましょう。まず、「個人的なものにする」という原則はどういう意味ですか。

 特にビジネスの文脈で言えるのは、現代のオンラインビジネスやオンラインで触れるあらゆるものでは、A/Bテストや、数字の統計を追跡し、それらの数字を追いかけることについて、非常に多くの時間を割いてしまいがちです。

 これは重要であり、手法としてまったくもって正当なものです。しかし、その過程で、個々の顧客、つまり、その人自身やその人が直面している問題を見失うと、ビジネスの長期的な健全性を損なうような間違いを犯す可能性があります。

 例として、オンラインジャーナリズムの世界で、クリックをさせるために過剰な表現を用いる「釣り見出し」や、バイラルコンテンツの問題をめぐって深刻な葛藤があったことを考えてみましょう。単に大まかな数字だけを見て、「最も広告が表示されるのはどれか。私たちを目立たせるのは何か」という視点に立てば、「釣り見出し的なことをすべてやろう」となるでしょう。一見、それはとてもうまくいっているように見えます。しかし、立ち止まって、「私たちの長期的なビジネスとは何だろうか。私たちは読者との関係を築いているのだろうか。人々は将来、私たちを信頼してくれるだろうか。釣り見出しをクリックして、実際には記事が見出しの約束を果たしていないことに気づいた時、私自身はどう感じるだろうか。あるいは、10分間記事を読んで、得るものは何もなかったと感じた時、失われた10分間は二度と戻らない」と考えるならばどうでしょうか。

 そうではなく「もしかすると、最高のクリック数は稼げないかもしれないが、クリックしてくれた人々は私たちが書いた記事を興味深く、価値があり、有益で、新しいと感じるだろう」と考えれば、ユーザーは私たちのことを覚えていて、次回、私たちを見かけた時にまた戻ってくるでしょう。それが「個人的なものにする」ということです。エンドユーザーである顧客のことを考え、彼らが何を、なぜ経験しているのかを考えるのです。

 エアビーアンドビーのケースでは、彼らは数字を見て「問題が発生するのはごくわずかな人だけだろう」と捉えたかもしれません。ただ、この女性が経験した苦痛と、彼女がそれをオンラインで共有したことは、エアビーアンドビーの評判にとって破壊的なものでした。そして、「実際、数字は問題ではない。たった1件であっても、それはひどい問題だ」と理解することが、本当に重要だと私たちは考えなければなりません。

 商品をつくったり、サービスを提供したりするビジネスにとって、シンプルに最終顧客に焦点を当てるということですね。私たちは価値を提供しているか、可能な限り最善の方法で彼らに奉仕しているか、と。

 ええ、その通りです。そして、それに到達する最善の方法は、それを個人的なものにすることだと私は思います。顧客のところへ行って、「あなたの経験で最悪だったことは何ですか。どうすればもっとよくなりますか」と尋ね、本当に耳を傾けることです。

パーパスはいかなる時も守るべきものなのか

 そして、あなたはパーパスについても記しています。多くの企業は凝ったパーパスステイトメントを持っていますが、ウィキペディアが掲げるパーパスはかなりシンプルです。ウィキペディアはオンライン百科事典である、と。なぜそれほど短く、わかりやすくしたのですか。

 ウィキペディアのパーパス(「誰もが自分の言語で利用できる無料の百科事典」)の素晴らしい点の一つは、それが真に統一的で明確なアイデアであることです。ですから、私たちが(ウィキメディア財団であれ、コミュニティであれ)意思決定をする際、私たちは常にそれを参照できます。私たちは自分が何のためにここにいるのか、何をしようとしているのかを理解しています。

 ウィキペディアの初期に、ある人がこう言いました。Gmailがちょうど登場した、たしか2004年頃だったと思います。「無料のウェブメールアカウントを提供すべきかもしれない」と言ったのです。私は考えました。「興味深いが、百科事典をつくることとそれが何の関係があるのだろうか」。無料のウェブメールアカウントは、直接的に役立ちません。私たちを分散させてしまうでしょう。私たちの技術チームはどうなるのか。それを行うためのビジネスモデルは何なのか。人々がウィキペディアのメールアドレスを、組織を代表しているかのように誤解したらどうなるだろうか(自分のメールアドレスで、ウィキペディアのボランティアであることを示していた方がよいだろう、など)。

 そして私たちは、その核となるパーパスにとって意味を成さないため、ウェブメールアカウントを提供しないことに決めました。もし私たちがパーパスを持っていなければ、私たちはあちこちにさまよってしまう可能性があります。営利企業の場合、やや複雑になることがあります。なぜなら、「よいビジネスチャンスがあり、それがよい適合性を持っているように見えれば、パーパスとは関係のないことをする」と考えるかもしれないからです。しかし、そのような文脈であっても、組織設立の原則に戻る必要があります。この組織は何に関するものなのか。私たちは何をしようとしているのか。

 アップルのような非常に成功している企業を考えてみてください。アップルはさまざまな事業を行っていますが、ある種のテーマのような一貫性があります。ユーザーには、非常にクリーンな体験を提供し続けてきました。そして、それを損なう可能性のあるビジネスモデルへの参入を避けてきました。

 たとえば、彼らは広告からあまり収益を上げていません。したがって、彼らは実際、ユーザーのプライバシー保護に非常に力を入れています。なぜなら、彼らは自分たちが素晴らしい、少し高価な(アップルファンとして言いますが)ハードウェアを売ることで利益を得ていると理解しているからです。私たちは高価なハードウェアを売っており、それは素晴らしいことである。そして、人々はセキュリティとプライバシーを本当に求めており、それを損なうような誘惑に駆られるビジネスをつけ加えるのは理にかなわない、と彼らは考えました。そして、そうしませんでした。それは本当によいことだと思います。

 では、ウィキペディアが大きな成功を収めた後も、ビジネスや組織を別の方向で進化させたいという誘惑に駆られることはありませんでしたか。

 根本的な変更はしていません。もちろん、いくつかの追加は行いました。辞書であるウィクショナリーやウィキブックスなど、いくつかの提携プロジェクトがあります。他にもありますが、それらはすべて、非営利の枠組み内での誰もが利用できる無料の知識という枠組みの中にあります。そして、それは私たちに非常によく役立ってきました。ですから、私たちはそれから逸脱することに、本当に興味を持ったことはありません。

 他のいくつかの原則は関連しているように見えますし、あなたもそれらに言及していますね。他の人についてポジティブに考えること、信頼すること、そして敬意と礼儀を持って振る舞うことです。そのようなシンプルなルールが、何百万ものボランティアとウェブサイトを利用している人々を、どのように協力させ、規律を守るように促しているのでしょうか。

 私は、人間の本質に何かを無理強いしようとしているわけではありません。人間に関するある事実を認識しているだけなのです。それは、人が一般的にとても親切だということです。私たちは社会的な動物であり、他人が好きで、一緒に何かをするのが好きです。そして、時々、少しいら立つこともありますが、私たちは協調的で、協力的で、支援的で、思慮深く、合理的な環境を好みます。これらすべてのよいことは本当に重要です。そして実際、私は礼儀正しさがその非常に大きな部分だと考えています。

 私たちは、根本的なことについて意見が対立する可能性がありますが、それでも優しさ、礼儀正しさ、思慮深さを持って互いに接することは可能です。実際に、数多くの事例を目にしてきました。人々がウィキペディアに入り、ウィキペディアでの仕事を通して、彼らが激しく意見を異にするであろう人々に対して、より円熟した、穏やかな見方を持つようになります。しかし、あなたは意見を異にする人々の人間性を認識し始め、「大丈夫だ。私たちは意見の不一致があっても、お互いに礼儀正しくいられる」と気づくのです。

 7原則の6番目として挙げられている項目が「独立性を保つこと」です。これは、組織やビジネスリーダーは、政治的、社会的、または経済的な問題について、公的にいかなる立場も取るべきではないという意味でしょうか。

 そうですね。そうしたことには、かなり慎重であるべきだと思います。多くの場合は、ビジネスに直接関係がある時にのみ、そうした立場を取るべきです。どこかのファストフードレストランが、何かの問題についてどのような見解を持っているかについて、私自身はあまり興味がありません。たとえ、その見解に同意できるとしても、むしろ不快に感じる可能性のほうが高いでしょう。ですから、(立場を表明することは)単に不必要なのです。

 一方、そうした立場の表明が重要であるケースもあります。たとえば、ウィキペディアの世界では、私たちは組織として可能な限り政治から距離を置いていますが、ボランティアの安全や表現の自由が危機に瀕している時があります。私たちは世界中の多くの国で検閲と闘ってきました。私たちは、トルコでの禁止令を覆すために最高裁判所で勝訴したことを非常に誇りに思っています。私たちは、妥協しませんでした。それは素晴らしい出来事でしたが、あくまでもそれが私たちに直接影響することだったからです。

 誰もオバマケア(米国の医療保険制度改革)に対する私の個人的な意見を気にすべきではありません。それが何に関係があるというのでしょう。私はヘルスケア政策の専門家ではありません。私はインターネット政策については多少知っているので、そこでいくつか発言する権利はあると感じています。そして、多くの企業が、正当な理由もなく人々を遠ざけてしまうリスクを冒しているのではないかと考えています。

 あなたは、ビジネスにおけるほとんどの意思決定を「信頼を損なうか、それとも信頼を築くか」というレンズを通して評価する必要があると言っているように思います。しかし、それは非常に厄介です。たとえば、「プライド・ウィーク」のTシャツを販売する小売業者を考えてみてください。それはある層の顧客との信頼を築いていますが、別の層の顧客との信頼を損なっているかもしれません。そのようなグレーゾーンをどう乗り越えるのでしょうか。

 私としては、宗教的なTシャツを売ることもかまわないと考えています。考えなければならないのは、合理的な境界線は何かということです。たとえば、「ナチスを支持する少数のグループがいるから、ハーケンクロイツ(鉤十字)のTシャツもいくつか置くべきだ」とは言わないでしょう。私自身、けっしてそうは思いません。

 このような種類の決定の多くについては、信頼が意思決定プロセス全体に影響を与えていると思います。「もしこれをやったら、一部の人々にとっては不快だが、他の人々はそうでないとしたら、それは信頼にどう影響するだろうか」と。

 時には、こう判断することもあるでしょう。「映画に同性愛者のキャラクターが登場することに耐えられないほど思想が凝り固まっている一部の人々の信頼は、失うことになるだろう」と。それは残念ですが、それ以上に価値があるのです。

 他のケースでは、こう判断するかもしれません。「このコンテンツは非常に多くの人々を怒らせるだろう。人々が支持していないことを、私たちが支持していると誤解されるおそれがある。だから、これはすべきことではない」と。

 ここでの重要なポイントは、「どうすれば、最大多数の人々が私たちを信頼してくれるか」を決めることではない点です。それはあまりに単純すぎます。そうではなく、透明性があること、信頼できること、そして期待通りの行動をすることが、いかに信頼を築くのに役立つか、なのです。

 それは、最後の原則である「透明性」に見事につながります。ウィキペディアには透明性が確保されていますよね。なぜなら、トークログに入って、どのように決定がなされたかを見ることができるからです。他の業種では、期待されている以上の透明性を確保するため、どのような取り組みができるとお考えですか。

 こうしたことがよく出てくるのが、危機管理のコミュニケーションです。何かがうまくいかなかった時、組織のトップは「私たちは失敗しました。予期していませんでした。間違った方針を持っていました」と話します。そして、多くの場合、可能な限り最大限に、それを認めるべきです。「私たちはこの点で完全に間違っていました」と言わなければ、信頼を回復することはできません。

 そして、最後のルールですが──ルールは8つにしたくなかったので、正確にはルールではないのですが──いわゆる「メタルール」(ルール上のルール)は、実際に行動に移さなければならないということです。有言実行でなければなりません。ですから、「私たちは失敗しました、間違えました」という声明を出しただけで、すぐに以前と同じことに戻ってしまうなら、それは信頼にはつながりません。

 私たちが行ったインタビューの中で、特に気に入っているのがハーバード・ビジネス・スクールの教授であるフランシス・フライの話です。彼女は、「人は一度信頼を失ったら、それで終わりだというが、それは実際には真実ではない」と言います。「だからといって、信頼を軽視すべきではありませんが、信頼は再構築できるのです。あなたはただ正しいことをしなければならないのです」と。

 ですから、失敗した場合、「誰も私たちを信頼していないのだから、もうめちゃくちゃにしてもいいや」と考えてはいけません。それではうまくいきません。あなたはさらに信頼されなくなる可能性があります。そうではなく、「待てよ、信頼を回復するためにやるべきことがあるはずだ。ここは間違っていた。もう一度、人々に償いができるはずだ」と言い聞かせるのです。そうすれば、周囲はあなたを許し、再びあなたを信頼するでしょう。ただし、あなたは引き続き、正しい行動を取らなければなりません。

ウィキペディアにとってAI検索は脅威ではない

 では、AI検索は、人々が情報、真実、信頼を認識する方法をどのように変えているとお考えですか。そして、それはウィキペディアにとって脅威ですか。

 私は脅威ではないと考えています。少なくともこれまでのところ、最も基本的な指標であるトラフィックへの影響については、重大なものはありません。ピュー研究所が行った調査では、従来の検索結果の約3%がウィキペディアにリンクしているのに対し、AIの要約の6%がウィキペディアにリンクしていることが示されました。しかし、人々がクリックしてアクセスすることははるかに少なくなっています。つまり、彼らは私たちを2倍の頻度で見ていますが、クリックしてアクセスはしません。なぜなら、あなたがグーグルに「トム・クルーズは何歳ですか」と尋ねると、グーグルが答えを示すからです。ウィキペディアへのリンクはありますが、知りたいことはわかったので、クリックしてアクセスする必要はありません。

 しかし、私たちのサイトは以前よりもずっと頻繁に登場しています。ですから、少なくともいまのところ、私たちはそこで弱体化しているわけではないと思います。より広くいえば、人々は、少なくとも現在のモデル、さらにはチャットGPT5でさえ、途方もない量のハルシネーションを起こしていることを理解しています。そして、人々はそれを見て、「ああ……」と思います。

 もしあなたが家族旅行の旅程を作成しようとしているなら、それはよいことで、生成AIは旅程の作成についてはかなり優れています。しかし、私はAIが行くように指定した場所が実際に存在するかどうかをチェックします。AIは簡単に「あなたはこれをすべきだ。あなたは私にあなたの子どもたちのことを伝えた。あなたはここに行くべきだ」と言うかもしれません。そして「そこは存在しない。なぜあなたはそれを提示したのか」となります。「でももしそこが存在したら、お子さんはきっと気に入るでしょう」といった具合です。

 それは、あなたが非常に注意しなければならないものです。人々がウィキペディアに求めているのは、そのような広範で気軽な何かではありません。彼らが求めているのは、人間が本当に熟考した検証済みの事実であり、情報源とリンクなどがあるもので、その点は極めて重要だと私は思います。

 私は、特に大規模言語モデルが私たちのコミュニティをどのように助けることができるかに興味を持っています。どうすれば、私たちの仕事を助けるために使えるのか。そして、私たちには、検討している多くのアイデアがあります。一つの例として、透明性については、いつでもユーザーのトークページに行って、どのように決定がなされたかを見ることができます。時には、私たちはあまりにも透明すぎて、全体を見通せないことがあります。「このページがこう言っている理由は理解できるが、50ページ分の議論を読まなければならない」といった具合です。そこでAIが、まともな要約を提供できればどうでしょうか。要約して、「さて、これが下された決定だ。これが様々な視点の一部だ」と言えるなら。要約がまともであれば有用かもしれません。私たちがより透明性を確保することに役立つでしょう。あなたは「これらの人々がこの側を支持して議論し、これらの人々があちら側を支持して議論している」といったことさえ確認できるかもしれません。以上は一つのアイデアにすぎませんが、私はこれが驚くべき技術であり、多少の欠陥はあるものの、私たちが使うことで、情報の質を向上させる方法があるはずだと考えています。

 ウィキペディアはポジティブなクラウドソーシングの成功例ですが、クラウドソースされたコンテンツは、フェイスブック、X、ユーチューブ、ティックトックのようなソーシャルメディア企業の生命線でもあります。そこには、多くのポジティブなコンテンツがありますが、ポジティブではないコンテンツもたくさんあります。あなたはみずから模範を示しましたが、他の企業があなたの持つようなルールを制定しなかったことを心配していますか。

 私は、寛大であろうとしています。ウィキペディアには、百科事典をつくるというパーパスがあります。そして、私たちは常にそう言ってきましたし、私も常に言ってきました。ウィキペディアは「広範囲に開かれた言論の自由の場」ではないと。これが本当に重要です。なぜなら、私たちは百科事典を書こうとしているのであり、あれこれと激しい議論をする場所ではないからです。トークページでさえ、問題の一般的な議論のためにあるのではなく、記事を改善する方法を議論するためにあるのです。

 ソーシャルメディア企業には、はるかに難しい問題があります。その難しい問題とは、「何を考えていますか」と尋ねる投稿ボックスがあることです。そして、人々は時々、本当に恐ろしいことを考えています。

 ですから、その文脈では課題があります。私たちウィキペディアには「個人攻撃の禁止」という非常に強力なルールがあります。それがソーシャルメディアの文脈では何を意味するでしょうか。

 私たちは皆、人々を攻撃しすぎていると感じています。たとえば、あなたは政治家を批判したい。それはソーシャルメディアの一部です。あなたは「私は反対だ」とか「この有名人はこの文脈ではひどい人だったと思う」と言いたいでしょう。そのような種類の意見は、特に問題はありませんが、ソーシャルメディア運営事業者にとっては、本当に難しい問題を生み出しています。そして、私は彼らがその問題を真剣に受け止める必要があると考えています。彼らが何らかの責任を放棄する場合、ビジネスの長期的な健全性にとって問題のある決定だと思います。

 インターネットの未来について、あなたはまだ楽観的ですか。

 もちろんです、間違いありません。インターネットには、とてつもない種類の驚くべきことがあります。そして、たとえばフェイスブックを見てみても、私はまだ同じように言います。フェイスブックには確かに多くの問題があります。しかし、ご存知ですか、私は10代の頃に知っていた人々と連絡を取り合っています。私は高校時代の友人と会話をしています。私たちは完全に連絡先を失っていましたが、フェイスブックが大きくなり始めた2000年代初頭頃に、連絡を取り直しました。これは素晴らしいことです。

 人々を繋げるということが実現しています。このことは、依然として健全です。たとえば、ツイッターにはまだ多くの素晴らしい人々がいます。そして、そのポジティブさがあります。そして、あなたが知りたいことを何でも学び、世界中の人々と出会うことができるという事実、それは私にとって、魔法のようなことです。

 素晴らしい。ジミーさん、本当にありがとうございました。私たちの会話を心から楽しみました。

 ありがとうございました。


"Wikipedia Cofounder Jimmy Wales on How to Build Trust," HBR.org, HBR IdeaCast / Episode 1051