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追悼 野中郁次郎 その功績を未来につなぐ
SECIモデルの提唱者や名著『失敗の本質』の編著者などとして知られる野中郁次郎氏が、2025年1月25日に89歳で逝去してから1年を迎えた。野中氏はその革新的な理論と深い洞察によって、日本のみならず世界に多大な影響を与えた。1991年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)で発表した論文「ナレッジ・クリエイティング・カンパニー」もその一つである。
『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』2025年5月号では、野中氏の功績を振り返る「追悼 野中郁次郎 その功績を未来につなぐ」を掲載した。本企画では、公私にわたり55年間をともに歩み、書籍や論文を著した国際基督教大学理事長の竹内弘高氏、また同じ時期に知的資本についての記事をしたため、HBRの編集者としても関わりのあった元編集長のトーマス A. スチュワート氏などからの寄稿を通じて、あらためて野中氏の功績とともに、未来に遺すべきメッセージを紹介している。
逝去から1年の節目を迎えるいま、その人間的魅力で周囲の人々を魅了していた野中氏の功績を多くの方々にあらためて伝えるべく、本誌2025年5月号掲載の「追悼 野中郁次郎 その功績を未来につなぐ」の全文を期間限定(2026年1月25日~26日)で無料公開する。
「二項動態」の実践で築いた知識創造の軌跡
──竹内弘高
元ハーバード・ビジネス・スクール教授(現・国際基督教大学理事長)の竹内弘高氏は、野中氏と公私にわたり55年間も歩みをともにしてきた。両氏は、1986年に発表され、スクラム開発の源流となったHBR論文「新たなる新製品開発の方法」をはじめ、名著『知識創造企業』や『ワイズカンパニー』を共同で執筆した。
1970年の出会いから、野中氏が逝去するまで、二人が過ごしてきた「二項動態」の日々とはどのようなものだったのか。竹内氏だけが知る、激しい議論を重ねてつくり上げた共著書完成までの秘話や、野中氏の野武士のような生き様について、追悼の念とともに振り返っている。
知識が経営課題となった時代の転換点
──トーマス A. スチュワート
元HBR編集長のトーマス A. スチュワート氏は、野中氏と親交のあった編集者の一人である。同氏は、野中氏が「ナレッジ・クリエイティング・カンパニー」を執筆していた当時、自身も米国で「知的資本」に関する執筆を行っていたという。異なる文化圏にいながら、「不確実な経済下で唯一確実な競争優位の源泉は『知識』である」という同一の結論にほぼ同時に達していた事実に触れ、野中理論の先見性を強調している。そのうえで、野中氏が提唱した知識創造のモデル化(SECIモデルなど)の秀逸さを、あらためて称賛する。
ナレッジ・クリエイティング・カンパニー
[追悼再掲]SECIモデルの原点
HBR1991年11-12月号(邦訳の初出は『DIAMOND ハーバード・ビジネス』〈DHB〉1992年3月号)に掲載された本稿は、日本企業の製品開発ストーリーから、暗黙知と形式知の知識のスパイラル効果による知識創造の仕組みを解き明かし、ナレッジマネジメントの原点となった。野中氏の功績を代表する本稿をあらためて多くの方にお読みいただきたい。
斬新だった「ナレッジ・クリエイティング・カンパニー」──ロザベス・モス・カンター
1991年にHBRに掲載された「ナレッジ・クリエイティング・カンパニー」。当時、HBR読者の大半は北米の英語圏の読者だったというが、なぜHBR編集部は日本人である野中氏の同論文に魅力を感じ、掲載に至ったのだろうか。当時の経緯を知るロザベス・モス・カンター氏(元HBR編集長であり、ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授)が当時について語った。
野中さんの思想は、今日の厳しい世界に対峙する力となる──ヘンリー・ミンツバーグ、デイビッド J. ティース
野中氏は海外のアカデミアとも積極的に交流を重ねてきた。世界の知性にとって野中氏はどのような存在であり、またその素顔はどのようなものだったのか。かねてより交流のあったマギル大学教授のヘンリー・ミンツバーグ氏、カリフォルニア大学バークレー校教授のデイビッド J. ティース氏が在りし日の思い出を振り返る。






