マッキンゼーを辞める以上、社会へのインパクトを与える
伊賀:マッキンゼー時代に、今まで未知の世界だったビジネスの大枠についての鳥瞰図というか、感覚を身につけたわけですね。小沼さんは昇格した直後に退職したと聞きましたが、会社を辞める時の、周りの反応はいかがでしたか?

(いが やすよ)
キャリア形成コンサルタント。兵庫県出身。一橋大学法学部を卒業後、日興證券引受本部(当時)を経て、カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスにてMBAを取得。1993年から2010年末までマッキンゼー・アンド・カンパニー、ジャパンにて、コンサルタント(アソシエイト、エンゲージメント・マネージャー)、および、人材育成、採用マネージャーを務める。2011年より独立。 現在は、キャリアインタビューサイト MY CHOICEを運営し、リーダーシップ教育やキャリア形成に関する啓蒙活動に従事する。
小沼:そのときのことは今でも心に残っています。当時の日本支社長から、とても厳しい激励の言葉をいただいたんです。
「お前がマッキンゼーで出せるインパクトの大きさを過小評価するな。それと同等か、それ以上のインパクトを出す自信があるなら辞めてもよい」
というようなことを言われました。インパクトを出すということを絶対に妥協してはならないと。
伊賀:若手が辞める時に、そういうことをトップが言うのもマッキンゼーらしいですね。
ところでそのインパクト、私が本の中で言っている「成果目標」ですが、クロスフィールズの活動の出発点として、パナソニックのような日本を代表する企業との提携を試みたのも、その成果目標を実現するための戦略だったのでしょうか?
小沼:はい、その通りです。 やはり小さな規模で事業を展開しても、社会に与えるインパクトが弱いと思いました。だから目線を思いっきりあげようと最初から心がけていました。
伊賀:「小さいところからコツコツと」ではなく、最初から日本の企業社会を変えるんだという成果目標が明確だったからこそ、思いついたことだというわけですね。退職時にマッキンゼーの日本支社長から言われた「目標を低く持つな」というメッセージが、すごくいい形で結実しているように思えます。