しかし、多様性それ自体からは何も生まれません。多様な人々や活動をひとつの目的なり成果に向けてまとめあげなければ意味がない。ようするに多様性の先にあるもの、つまり「統合」が多様性のマネジメントのカギでありまして、統合の仕方こそにその企業の経営の本領があるのです。経営の優劣は多様性の多寡によってではなく、一義的には統合の質によって左右されます。
組織を構成する部分がいくら多様であっても、何らかの方法で全体へと統合されなければ、組織はバラバラになり、何の成果も生み出せません。その企業に固有の統合の仕方が確立されていること、これは経営のそもそもの定義といってもよいほど大切なことです。多様性のマネジメントとは、多様性を受け入れることではなく、そのあとの統合の問題に軸足があるのです。言われてみれば当たり前のことなのですが、この当たり前の論理がないがしろにされてきたように思います。
多様性の先にある統合の問題に注目すると、グローバル化の落とし穴が浮かび上がってきます。ひとつの典型が、多様性の統合の方法までも「グローバル・スタンダード」に盲目的に合わせてしまうというパターンです。よくいわれるように「グローバル・スタンダード」はアメリカの企業が自国内で以前からやっていた「アメリカン・スタンダード」の、よく言って「輸出」、悪くいえば「押しつけ」であることが少なくありません。
もちろん「アメリカ企業」とひと括りにすることはできません。ですから、この話はあくまでも平均的な傾向として聞いていただきたいのですが、ヨーロッパと比べてアメリカの企業経営にはようするに、「自分たちのやり方に合わせろ」という「宣教師」的な傾向、つまり自分たちで良いと思ったやり方を他国にもそのまま丸ごと持ち込もうとする面があります。
先にお話ししたようにアメリカという国がその内部に強烈な多様性を抱えてきたという事情に目を向ければ、このような「押しつけ」の傾向はごく自然な成り行きです。つまりもともと「グローバルな経営」なので、その延長線上にそのままアメリカの外にも出ていくという発想です。前回お話ししたグローバル言語としての英語と同じです。これはこれで自然な話で、もし日本の国内が歴史的にアメリカのようになっていれば、日本企業だって同じようなことをするでしょう。