「器の大きいリーダー」と「器の小さいリーダー」の違いは何か:ロバート・キーガンの「成人発達理論」で捉える①
iStock/runeer
サマリー:「あの人は器が大きい」「器が小さい」といった表現が使われることがある。器の大きさは、単に耐える力ではない。成人発達理論を提唱するロバート・キーガンは、器の大きさを「人がどのように世界を理解し、自分や他者との関係を捉えているか」によって決まるものと説明する。本稿では、キーガンの理論をもとに、リーダーが自分の器の大きさについて理解を深めるための考え方について解説する。

連載『成人発達理論で考える部下の育て方とリーダーの成長』こちら

【おすすめ記事】部下の成長を阻んでいるのは「器」か「スキル」か──成長段階の「現在地」を見極める方法 

優秀なリーダーほど行き詰まるのか

 組織で活躍するリーダーの方々を見ていると、ある種の逆説的な現象に出くわすことがあります。十分な経験を持ち、論理的思考にも優れ、実績も上げてきたリーダーが、ある局面で急に立ち止まってしまうのです。すなわち、価値観が衝突する場面、不確実性の高い意思決定、正解のない問いに向き合う場面になると、それまで機能していたはずの強みが、むしろ足かせのように働いてしまうことがあります。

 この時、多くのリーダーがしばしば「まだ能力が足りないのではないか」「より高度なスキルが必要なのではないか」と考えます。しかし、実際はそうとは限りません。むしろ問題になっているのは、スキルの有無ではなく、その人がどのように世界を見ているかという「見え方」です。

 同じ状況に直面しても、あるリーダーは対立を調整可能なものとして捉え、別のリーダーは解決困難な衝突として受け取ります。ある人は不確実性の中でも意思決定を前に進めることができる一方で、別の人は判断の拠り所を失い、動けなくなります。この違いは、知識量や経験年数だけでは説明できません。

 ここで問うべきは、「何ができるか」ではなく、「どのような前提で物事を捉えているか」です。リーダーは事実そのものに反応しているのではなく、事実に対する意味づけに基づいて行動しています。そして、その意味づけこそが、意思決定や対人関係の質を大きく左右しています。

 困難な状況でも冷静に対処できる人に対して、「あの人は器が大きい」といった表現が使われることがあります。しかし、この「器」という言葉は、多くの場合、人格や性格の印象として曖昧に用いられており、何を指しているのかが十分に明確ではありません。

 その結果、マネジャーなどが「器が大きい人を育てたい」と言いながら、具体的に何をどうすればよいのかが見えないまま議論が終わっています。あるいは逆に、「あの人は器が小さい」といったラベルが貼られ、その人の可能性が早い段階で閉じられてしまうことすらあります。

 しかし本来、「器」という言葉が指しているものは、こうした曖昧な人格評価ではありません。それは、より構造的に捉えることのできる差異です。

 本稿では、ロバート・キーガンの成人発達理論を手掛かりに、この「器」と呼ばれているものの正体を、人がどのように世界を理解し、自分や他者との関係を捉えているかという「意味づけの構造」で捉え直していきます。ここでの目的は、人を段階で分類することではありません。むしろ、自分自身がどのような前提で世界を見ているのか、その現在地を丁寧に理解することにあります。

 前回までの記事でも触れたように、発達段階を安易なラベルとして用いることには大きな危険があります。そこで本稿でも同様に、段階を「優劣」や「固定的なタイプ」として扱うことは避けます。そのうえで、リーダーとしての自己理解を深めるためのレンズとして、この理論を位置づけていきます。

 では早速、その前提となる「人の器とは何か」を、主体と客体という視点から整理していきましょう。

「人の器」とは何か:主体と客体で捉える意味づけの構造

 前節では、リーダーの行き詰まりがスキルの不足ではなく、取り巻く世界に対する「見え方」の限界に起因する可能性を指摘しました。では、その「見え方」はどのように捉えればよいのでしょうか。ここでカギとなるのが、ロバート・キーガンの提示した「主体と客体」という視点です。

【キーガンの理論について解説した参考記事】部下の成長を阻んでいるのは「器」か「スキル」か──成長段階の「現在地」を見極める方法

 キーガンは、人の発達を知識量や能力の多寡ではなく、「何を自分と一体化して生きているか」(主体)、「何を一歩引いて扱えるか」(客体)によって捉えます。主体とは、いままさに自分を動かしているものであり、まだ距離を取ることができない前提です。感情、評価、役割、信念、価値観といったものが、状況によっては主体として機能します。これに対して客体とは、それらを対象として見つめ、扱い、必要に応じて調整できる状態を指します。

 たとえば、評価を主体として生きている時、人は「どう見られているか」に強く引きずられます。評価に対して過敏に反応し、意思決定が外部の期待に左右されやすくなります。一方で、評価を客体として扱えるようになると、評価は重要な情報の一つではあっても、それに全面的に規定されることはなくなります。状況に応じて参照しつつも、自分の判断を組み立てることが可能になるのです。

 この違いは、能力の多寡では説明できません。同じ知識やスキルを持っていても、何が主体で何が客体かによって、行動の質は大きく変わります。したがって、リーダーの成長を考える際には、「何ができるか」だけでなく、「何をどのように対象化できているか」を見る必要があります。

 ここであらめて、「器」という言葉をこの枠組みで捉え直してみます。一般に「器が大きい」と言うと、寛容である、我慢強い、多くを受け止められるといったイメージが想起されます。しかし、キーガンの視点から見ると、器とは、単に耐える力ではありません。そうではなく、自分を動かしている前提そのものをどこまで対象として扱えるか、その範囲の広さを指します。

 言い換えれば、人の器とは「どれだけ多くのものを抱えられるか」ではなく、「どれだけ多くのものを自分から切り離し、対象として扱えるか」によって決まります。感情に飲み込まれるのではなく、感情を一つの情報として扱えるか。自分の価値観に縛られるのではなく、その価値観自体を見直すことができるか。こうした違いが、リーダーとしての振る舞いに決定的な差を生み出します。

 さらに重要なのは、発達とは主体が強くなることではなく、主体だったものが客体へと移行していくプロセスだという点です。自分と一体化していた前提に距離が生まれ、それを扱えるようになることで、新たな意味づけが可能になります。このプロセスは一度きりではなく、人生を通じて繰り返されます。

 ただし、ここで注意しておきたいのは、この枠組みを「人の優劣」を決めるために用いるべきではないということです。どのような構造で意味づけているかは、その人がこれまで置かれてきた環境や経験とも深く関係しています。また、状況によっては、特定の前提に強く立つことが求められる場面もあります。したがって、重要なのは段階の高さではなく、自分がどのような前提に埋め込まれているのかを自覚できているかどうかです。

 このように「主体と客体」という視点から見ると、「器」という曖昧な言葉が、具体的に観察可能な構造として立ち現れてきます。リーダーとしての自己理解とは、自分が何に飲み込まれているのか、何をまだ対象として扱えていないのかに気づいていくプロセスでもあります。

 では、この意味づけの構造がどのように変化していくのでしょうか。成人発達理論は、成長するプロセスを大きく5つの段階で捉えていますが、次節ではリーダー層に多く見られる段階4から5への移行過程に焦点を当て、より具体的に見ていきます。

5つの移行段階で読み解くリーダーの現在地:自己主導から自己変容へ

 前節では、「人の器」とは主体と客体の関係、すなわち何を自分と一体化し、何を対象として扱えるかという意味づけの構造であることを見てきました。では、その構造はどのように変化していくのでしょうか。

 ロバート・キーガンは、人の発達を「主体として抱え込んでいたものを、徐々に客体化できるようになる過程」として捉えました。これは単なる知識量やスキルの増加ではなく、「自分をどのように捉えているか」という意味づけ構造そのものの変化を意味します。

 キーガンは成人以降の発達を、主に5つの段階として整理しています。

 たとえば、第3段階のリーダーは、周囲との協調や期待に強く応答できるため、高い対人配慮を発揮することがあります。一方、第4段階では、自分自身の価値観や原則を軸に意思決定できるようになります。しかしその反面、自分の枠組みに強く依存しすぎると、異なる価値観を受け入れにくくなることもあります。

 そして現代の複雑な組織環境において、特に重要視されているのが、第4段階から第5段階への移行です。

 今回は、リーダー層に多く見られる「自己主導段階」(段階4)から「自己変容段階」(段階5)への移行を、さらに5つの細かな段階で捉えます。この区分は、人を分類するためのラベルではなく、自分の意味づけがどのように揺らぎ、組み替わっていくかを観察するためのレンズです。