ド中年を代表して若者に言いたい。「キミの夢は?!目標は?!」と迫られると、そういうものをまずは掲げることが達成の必要条件であるかのように思うかもしれない。しかし、一部の天才や求道者やスーパー努力家や矢沢永吉(尊敬しているのですが、敬称略)は別にして、ほとんどの人には壮大かつ具体的な夢や確たる長期目標など持ちようがない。無理して掲げると、かえって夢負けして勝手に委縮したり、頑張りがからまわりするという成り行きになる。だいたい「夢をあきらめるな!夢を追いかけろ!」とか煽っている連中をよく見てほしい。実際のところ、あまり大したことをやっていない場合がほとんどだ。

 しょせん99%の人はフツーの人間。一人の人間が達成できることには自ずと限界がある。それでも、そうした人間が集まって世の中が動いている。出口さんの言葉を借りれば、人間は一人ひとりが「世界経営に参画している」のだ。

「川の流れのように」というのは、何も手を抜くとか人任せにするとかいうことではない。むしろ主体性が大いに問われる。川の流れの中で、そのときに自分が思い定めた自分の持ち場で真剣に力を尽くす。これが仕事をするということであり、世界経営に参画するということだ。

 たまたま条件が整っていたり、運がよかったり、自分に向いていて力が発揮できれば、何らかの成果や達成が実現するかもしれない。うまくいかなくても仕方がない。川の流れに逆らわず、機が熟すのを待てばよい。そのうちに自分の持ち場ややるべき仕事が新たに見えてくるはずだ。世の中という川の流れにはそれだけの度量がある。

 そうしているうちに、自分が流れている川がだんだん幅広くなってくる。流れる水もだんだん澄んでくるし、量も豊かになる。それが成長するということだと思う。それでも川の流れがどこに向かっているのかは分からない。どっちにしろ、いつかは海にたどり着く。それは自分が死ぬときだ。死ぬまで答えはわからない。死ぬときになっても結局はわからないのかもしれない。それはそれで豊かな人生だ。

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