日本の都市計画を生み、育て、見守った先駆者

 内務官僚の池田宏(1881~1939)は、後藤のブレーンとして都市計画の実務に当たった人物です。1918年(大正7)、後藤内務大臣が創設した内務省大臣官房都市計画課の初代課長に任命された池田は、「都市計画調査会」の実質的リーダーとして、わが国の都市計画行政の基本路線を固めます。当時数少ない都市計画の専門家で、大阪市助役に転じていた後の「大阪の父」関一(せきはじめ)も調査会のメンバーに参加しています。

 池田は調査会で、都市計画法案、市街地建築物法案を起草し、理解者が少なかった「都市計画」の概念を定型化し、一九一九年(大正8)の立法化にこぎつけました。その後、後藤が東京市長に就任すると助役に招かれ、関東大震災後に後藤が内務大臣兼帝都復興院総裁に就任すると内務省社会局長官兼帝都復興院計画局長に招かれたように、まさに後藤の右腕として尽くしました。当時、画期的な広さを持った昭和通りは、後藤の「大風呂敷」によるものと思われていますが、実際は池田のつくったものでした。

 内務省を退官した後は、京都帝国大学(現京都大学)で教鞭をとるかたわら、都市問題全般の評論家として、都市計画の進展を見守り、時には積極的な社会的発言も行いました。
京都帝国大学の卒業論文から、没後刊行された『池田宏都市論集』に至るまで、生涯に241件もの著作を残した池田は、日本の都市計画の成立過程において、この制度を生み、育て、見守った先駆者です。その生涯は、まさしく「日本近代都市計画の父」「市政学の父」と呼ぶにふさわしいものでした。
(つづく)

「資本主義の父」11人の墓所
渋沢栄一墓所(谷中霊園・東京都台東区谷中)
前島密墓所(浄楽寺・神奈川県横須賀市芦名)
松方正義墓所(青山霊園・東京都港区南青山)
神田孝平墓所(谷中霊園・東京都台東区谷中)
大原孫三郎墓所(鶴形山大原家墓地・岡山県倉敷市鶴形)
武藤山治墓所(舞子墓園・兵庫県神戸市垂水区舞子陵)
高橋是清墓所(多磨霊園・東京都府中市多磨町)
福田徳三墓所(多磨霊園・東京都府中市多磨町)
高田保馬墓所(高田家墓地・佐賀県小城市三日月町)
後藤新平墓所(青山霊園・東京都港区南青山)
池田宏墓所(多磨霊園・東京都府中市多磨町)

※渋沢栄一、前島密、松方正義、武藤山治、高橋是清、後藤新平写真、およびタイトル写真出所:国立国会図書館ホームページ