親友である岸信介に引退勧告を行なった我妻栄

 重遠が家族法の生みの親とすれば、育ての親で「家族法」の権威といわれるのが、中川善之助(ぜんのすけ・1897~1975)です。東京市神田区(現千代田区)生まれの中川は、第四高等学校(現金沢大学)を経て東京帝国大学で重遠に師事し、卒業後は東北帝国大学教授として、弱者に対する深い理解と同情を支柱とした親族相続法の理論を築きます。その研究方法は、農村の慣行調査や南洋諸島の調査などの法社会学的手法を取り入れたものでした。

 戦後の民法大改正では、臨時法制調査会委員として、家制度の廃止、女性の地位向上に努めます。戦前の家制度の解体に尽力し、現代家族法を創設したのです。「現代家族法の父」と称される中川は、再三にわたり最高裁判所判事就任の要請を受けますが、東北大学を退官するまでこれを断り続けた、気骨ある民法学者でした。

 彼は人間味あふれるエッセイストとしても知られ、『民法風土記』『人と家と法』などの著作を残しています。そのなかで、家族について次のように述べています。「みんなが人間としてとうとばれながら協同する家族こそが、真に幸福な家族であり、民主主義における人間のありかただと思います。……だれもが神のような絶対者になってはいけないということです。ここに、人間の家族関係における、進歩とあともどりの尺度があるのではないでしょうか」

 東北大学構内の桜並木は中川の名をとって「中善並木」と呼ばれ、「中善並木──若き日の友情と感激のために」と記された記念碑は、反骨精神とヒューマニズムに裏打ちされた研究に尽くした中川の偉大さをいまに伝えています。

 その中川と共に、戦後の民法大改正で指導的役割を果たしたのが、東京帝国大学教授の我妻栄(わがつまさかえ・1897~1973)です。山形県米沢市に生まれた我妻は、米沢中学校(現米沢興譲館高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学独法科に入学します。一高・帝大を通じて常に首席というこの秀才のライバルかつ親友が、後の総理大臣岸信介です。日米安保条約が批准された1960年(昭和35)6月7日、朝日新聞紙上に「岸信介君に与える」という我妻の手記が発表され、首相となったかつての親友に対し、「今日君に残された道は、ただ一つ、それは政界を退いて、魚釣りの日を送ることです」と語りかけたことは有名です。

 我妻は、学者としてみずからに二つの任務を課します。一つは、専門分野全体にわたる教科書(体系書)を書くこと、もう一つは、そのなかの重要なテーマについて終生研究することです。前者の代表が、『民法講義』と『親族法』です。この二つの大著は、伝統的な法律学に社会学的な方法を取り入れたわが国初の民法体系書であり、豊富な判例を使って法律学の方法論を展開したことから民法のバイブルともいわれ、裁判実務においても決定的といえる影響を与えました。

 一方、後者の任務として、「資本主義の発達に伴う私法の変遷」というテーマをライフ・ワークとして追い続け、実に多くの論文を発表しています。なかでも「近代法における債権の優越的地位」は、わが民法学史上不朽の名論文とされています。

 我妻は、明治から大正にかけて一応の形成を見た民法体系を、判例を中心とする日本の社会的現実のつながりのなかで充実発展させ、新しい民法学としての「我妻民法体系」を大成しました。それは、いまなおわが国の民法学の基礎を成し、その功績により、彼は「民法の父」と称されています。

特許法の父

 大正時代、いまなお工業所有権分野の法学研究者にとってのバイブルと評される大著が刊行されました。「日本特許法の父」清瀬一郎(1884~1967)が、特許法改正の逐条審議におけるみずからの経験を綴った『特許法原理』です。

 兵庫県飾西(しきさい)郡置塩村(現姫路市)に生まれ、京都帝国大学法科大学独法科を首席で卒業後、穂積重遠と同期で東京帝国大学大学院に入学しますが、その後衆議院議員に転身。普通選挙運動を推進し、また法理論の見地から治安維持法に反対するなど、リベラルな政治家として活躍しました。戦後は公職追放されますが、極東国際軍事裁判(東京裁判)では日本人弁護団副団長として東條英機の主任弁護人を務めました。

 1920年(大正9)に衆議院議員に初当選した清瀬は、翌年の特許法改正で早くも注目を浴びます。大正時代に入り、日本企業も技術開発が可能となったことで、高橋是清(これきよ)が整備した特許制度と現状との間に齟そ齬ごを来すようになりました。そのため、1921年(大正10)二月に特許法改正案が帝国議会に提出されると、清瀬の要求により、審議は一条から条文ごとに進められたのです。同年4月30日に公布された「特許法」はドイツ法を手本とし、「相応の対価」の規定が盛り込まれるなど当時としては発明者の権利を最大限認めるもので、日本の知的財産法の根幹を成す法として識者から高く評価されています。