こうした国々に比べて、なお日本が最悪といえるでしょうか。僕にはそうは思えません。むしろ恵まれているところがあるとさえ思っています。というのは、問題の不確実性が、アメリカや中国やEUと比べると相対的に低いからです。問題が「安定している」とか「見通しがきく」といってもよい。
たとえば、ずいぶん前から騒がれている少子高齢化。少子化と高齢化が同時に進行し、労働人口が減少し、社会保障費が増加していくことが問題だとされています。これだって、すぐにパニックが起こるようなものではありません。30年以上先の人口予測が出ていて、今後人口がどう推移していくのか、社会保障費がどれくらい足りないのかがほぼ確実にわかっているわけです。
そうなると、今からどんな対策を打っていくべきかも、だいたい決まってきます。消費税を上げるとか、税と社会保障の一体改革をするとか、一票の格差を是正するとか、やるべきことはかなり前から大体のところはわかっているわけです。ではなぜなかなか問題が解決されず残っているのか。やるべきことはわかっているけれども、世の中の利害が複雑に絡み合っているので、合意が形成できない。必ず文句をいうやつが出てくる。合意が形成できないので、国のレベルでは実行に踏み出せない。ようするに問題の「複雑性」が解決を困難にしているわけです。
このように、国が抱える問題を「複雑性」と「不確実性」で分けて考えれば、本質は見えてきます。日本の場合、問題の「複雑性」は高いのですが、将来どのような状況になっていくかはわかっている問題が多い。「不確実性」はそう高くない。これに対してEUの場合、「複雑性」のみならず、これを書いている時点では「不確実性」も高いレベルにあります。
複雑性と不確実性、どちらも厄介ではありますが、複雑性のほうがまだましです。不確実性は何が起こるかわからないから怖い。原発事故が特に初期の段階であれほどシリアスな問題になったのは、それが複雑のみならず極めて高い不確実性を多く含んでいた(いる)からです。
社会を統治する仕組み(ガバナンス・メカニズム)には「市場」と「組織」があります。市場が相対的に得意なのは「不確実性」に対応すること。一方の「組織」による統治は、国のレベルでは政治に該当します。政治はそもそも「複雑性」に対処することにその使命があります。つまり日本が現在、安定的で複雑性の高い問題を抱えた国だとすると、こんな時にこそ、まさに政治が力を発揮する、発揮できるときだといえます。
ほとんどのまともな政治家の方々は、そのことを理解しているし、何をやればいいかもわかっています。ただし、それだけでは社会的合意は形成できません。このところ議論が沸騰しているTPPがよい例です。輸出企業の経営者は賛成する。反対に農業団体は反対する。ことの性質からして、これは当たり前の話です。全体主義国家じゃあるまいし、自然と合意が形成されるわけがない。じゃあ議論しましょうということになるのですが、政治が双方の言い分を聞いているだけではいつまでたっても話がまとまるわけがない。そこで政治決断という社会統治が必要になります。