ゴビンダラジャンが、経営学の世界に進むきっかけとなったのが、ハメルとプラハラッドが提唱した「ストラテジック・インテント」である。将来像から現状の課題を見つけることは、いまこそ最重視しなければならない。

 

 ゲイリー・ハメルとC・K・プラハラッドが1989年にハーバード・ビジネス・レビューで発表した論文「ストラテジック・インテント」(邦訳DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー2008年4月号) は、私のキャリアに重大な転機をもたらし、会計学の教授から戦略・イノベーションの研究者へと転身するきっかけとなった。ストラテジック・インテントとは、企業が既存の資源と能力にまったく釣り合わない、大胆で野心的な目標を設定するという概念である。ストラテジック・インテントには長期的な視野が必要だ。資源不足の現状を顧みることなく、未来から過去に遡って経営を実践するようなものといえる。

 70年代初頭、キヤノンという新興企業が「打倒ゼロックス」という大胆な目標を掲げた。当時、ゼロックスはコピー機業界の絶対的なリーダーであり、大規模な営業ネットワークを介して企業に各種のコピー機をリースしていた。キヤノンはコピー機と部品を標準化してコスト削減を図り、オフィス用品のディーラーを通じて製品を販売することで、自前のコピー機を持ちたいと考える顧客層にアピールした。ゼロックスにはない機能を開発することで、キヤノンは新しい成功のレシピを生み出しながら、ゼロックスの報復攻撃を素早くかわした。

 戦略に関する見方は2つある。企業は自社の資源を評価し、それを機会と一致させるべきだというのが従来の考え方である。もしキヤノンが70年代初頭にこのアドバイスに従っていたら、とてもゼロックスには対抗できなかっただろう。ハメルとプラハラッドの考え方はこれとはまったく異なる。企業は目標に応じて自社の資源ベースを拡大すべきだというのが両氏の考え方だ。この概念は私の仕事に多大な影響を及ぼしている。私はインドで勅許会計士(「公認会計士」と同等)の資格を得て、ハーバード・ビジネス・スクールで会計学の博士号を取得した後、ダートマス大学のタック・スクール・オブ・ビジネスで財務・管理会計学を教えていたとき、「ストラテジック・インテント」の論文に出会った。会計の世界では常に「現実的な目標」が最良とされていた。それが達成可能であり、目標が現実的なほど良い動機づけになるからだ。私は目標設定に関する記事を本誌に寄稿したこともある。ところがプラハラッドとハメルによれば、企業は現実的な目標ではなく、非現実的な目標を設定すべきだという。

 当初、私には彼らの言っていることがまったくピンとこなかった。だが、論文を反芻するうち、次第にその意味を理解できるようになった。現実的な目標は漸進的な発展を促すが、非現実的な目標がなければ斬新な発想を生み出すことはできない。

 たとえば、60年代初頭に米国が技術競争でソ連に後れをとったとき、J・F・ケネディは大胆な目標を掲げ、「この国は、60年代のうちに、人類を月に着陸させ、無事地球に帰還させるという目標を達成すると確約すべきである」と述べている。では、なぜこのような宣言が画期的なイノベーションを生み出すのか。成果とは期待の産物であり、それゆえに期待を超える成果をあげることは難しい。人間は本質的に、大胆でやりがいのある非現実的な目標に魅力を感じる。心の深層では、小さな丘に登ることより、険しい山に登ることを考えたときのほうが気分は高揚する。こうして、J・F・ケネディの意図は数多くの画期的な技術を生み出した。

 同様に、「ストラテジック・インテント」は、私がイノベーションに関する研究計画を立てる際に丘ではなく、山のことを考えるようになるきっかけを与えてくれた。その成果のひとつは、私が300ドル住宅について記した2010年のブログ (クリスチャン・サルカールとの共著)であり、このビジョンはストラテジック・インテントの理論と一致する部分も多い。

 ビジネスにストラテジック・インテントの例を見つけ出すのは難しいかもしれないが、歴史を振り返れば、家族がすばらしい種をまいた例はたくさんある。資源や高度なプランニングシステムがなくても、家族は常に長期的な意図を持って自分の子供たちのことを考えている。たとえ生活必需品を買う余裕がないほど困窮していても、家族は子供たちを立派に育てることができる。そうした子供たちの中にはCEOになる人も多いが、その人たちが短期的な成果実現の必要性にとらわれ、物事を長期的に考えられないこともある。それは、自分たちの親が目先の現実問題(月々の支払いや食事の確保、住宅ローンの支払いなど)に対処しながら、将来の夢(いつかジョンやケイトをハーバードに入学させること)を思い描いていたという事実を忘れてしまっているからだ。

 いまこそリーダーたちは、ビジネスや政治、社会の分野でそれぞれの勝負に出なければならない。リーダーシップは困難な時期にその真価が試されるのだ。2008年の金融危機を経て、世界はリセットされた。今日のリーダーシップに求められるのは、低成長の世の中に新たな成長の基準を打ち立てることだ。いま、厳しい時代だからこそ、大胆な目標を設定することがこれまで以上に必要とされている。ストラテジック・インテントは、最初に論文が発表された当時より、いまの方が重要な意味を持つといえるだろう。

 ハーバード・ビジネス・レビューの信条は「インパクトのあるアイデア」だ。『ニューヨーク・タイムズ』紙や『フォーチュン』誌などの新聞や雑誌は最新のニュースを発信するが、本誌の記事は毎月のホットな話題や流行を取り上げるのではなく、持続的な価値を持つ見識を紹介している。「ストラテジック・インテント」は本誌のすばらしさを示す典型的な例のひとつといえるだろう。いまも昔も変わらない普遍的な価値を持つアイデアだ。そして、それは将来にも有効である。


“The Timeless Strategic Value of Unrealistic Goals,” HBR.org, October 22, 2012.