マイクロファイナンスは貧しい人々に融資を提供する革新的な方法だが、それ以上に重要な役割がある。その本質は、個人に力と尊厳を与えることにある。
2010年1月、私はグローバル企業の上級管理職50人とインドを訪れた。学習体験の一環として、南インドの革新的なマイクロファイナンスプログラム、クドゥンバシュリ(Kudumbashree)の受益者のひとり、パンカジャムを招いて話をしてもらった。パンカジャムはインド部族民の出身だ。部族民はピラミッドの最底辺に位置する人々で非常に貧しく、識字率も低い。パンカジャムも例外ではない。彼女は10年前に15ドルの融資を受けた。クドゥンバシュリは零細事業(リース農業)を起業するためのトレーニングを彼女に提供した。
パンカジャムは悪戦苦闘しながらも10年かけて事業を軌道に乗せた。リース農業から酪農業、養鶏業へと転業した後、事業を拡大して3つを同時に手掛けるようになった。娘のひとりを大学に進学させ、彼女は後に教師になった。2番目の娘も大学へ進学し、会計士になるための勉強をしている。3番目の娘は高校に通いながら、医師になることを目指している。最初の融資は微々たるものだったが、パンカジャムは娘たちの人生を良い方向に変えることができた。
しかし、特筆すべきなのはパンカジャム自身が変わったことだ。
米国では、1日2ドル以下の収入は「貧困」とみなされる。しかし、私が考える貧困の定義はマージナリゼーション(疎外化)、つまり、力も無く、声もなく、自由でない状態である。マイクロファイナンスはパンカジャムに声を与えた。パンカジャムはエグゼクティブらの質問にすべて堂々と答えた。実際、タック・スクール・オブ・ビジネスでMBAを取得した我々のスタッフより、彼女は参加者と上手にアイコンタクトを交わしていた。クドゥンバシュリがパンカジャムに与えたのは、金銭的な自由以上のものであることは疑いようもない。参加者がパンカジャムに尋ねた最後の質問は次のような内容だった。「あなたがマイクロファイナンスを利用するようになって10年になりますが、その間にいちばん良かったと思うことを1つ選ぶとしたら、それは何ですか」。パンカジャムは少し迷ってから、こう答えた。「たぶん、いちばん良かったのは・・・・・・ マイクロファイナンスのおかげで、ゴビンダラジャン先生に誘われ、今日ここにいる皆さんにお話しができたことです」。マイクロファイナンスはパンカジャムにアイデンティティーを与えた。
1日2ドル以上稼ぐアメリカ人はたくさんいるが、その多くは疎外感を覚えている。マイクロファイナンスの父、ムハマド・ヤヌス博士がノーベル賞を受賞した理由は、マイクロファイナンスが独創的な融資方法だからではなく、貧しい人々に尊厳と声を与えたからである。
ヤヌス博士がバングラデシュでスタートして以来、マイクロクレジットのバンキングモデルは100カ国以上に広まった。現在、マイクロファイナンスは米国にも伝わり、ニューヨークの貧しい地域でも普及している。これはリバース・イノベーション、すなわち、貧困国で生まれ、富裕国の人々を変えることができるイノベーションである。
私は参加者に次のことを考えてもらった。もしパンカジャムの父親が15ドルの融資を受けていたら、彼女は医師や会計士、教師になれたと思うか。パンカジャムが読み書きできないのは誰の責任か。果たして、それは彼女自身の責任か。パンカジャムは頭脳明晰である。フォーチュン500企業の上級管理職から質問を受け、そのすべてに易々と答えることができた。
この世の中で誰が貧困を生み出しているのか。貧しい人々が貧困を生み出しているのではない。貧しい人々は貧困に追いやられているのだ。貧困は制度的な失敗である。貧しい人々から教育や融資、医療の機会を奪っているのだ。ある意味、疎外された人々をメインストリームに呼び戻すような制度を構築することは、我々全員の連帯責任といえるだろう。