1. マルチタスクのない日々は、素晴らしいものだった

 このことをはっきり感じたのは、子どもたちと遊んでいる時だった。携帯の電源を切り、彼女たちと濃密な時間を過ごすことができた。メールをチェックするわずかな時間が、目の前の人や物事からいかに自分を遠ざけるものか、それまでは気づかなかった。笑わないでほしいのだが、実は本当に久しぶりに、風に揺れる木々の葉を見てその美しさに気づいたのだ。

2. 難しい仕事が、大いに進んだ

 執筆や戦略立案のような仕事には、熟考と粘り強さが必要となる。普段なら私はすぐに気が散ってしまうのだが、今回は難しい局面を迎えても腰を据えていられたし、何度もブレークスルーを体験した。

3. ストレスが劇的に軽減した

 ある研究によると、マルチタスクは非効率であるばかりか、ストレスも高めるという。そのとおりであることを、身をもって知った。一度に1つのことだけをやると、心が安らぐのだ。マルチタスクがもたらす緊張からの解放を味わった。1つの作業を確実に終えてから次の作業に移ると、安心感が得られた。

4. 時間の無駄となるものに、我慢ができなくなった

 1時間の会議は果てしなく長いものに感じられた。とりとめがなく要点を欠く会話は苦痛だった。私は作業の完了に向けてピンポイントで集中するようになっていた。マルチタスクをしていないと、退屈をまぎらわす方法もない。無駄な時間を許容できなくなった。

5. 有意義なこと、楽しいことに対しては、大いに粘り強さを発揮できた

 妻エリナーが話をしている時は、じっくり耳を傾けることができた。難しい問題について検討している時は、それに没頭できた。他に意識を妨げるものがないので、腰を据えて1つのことに取り組めたのだ。

6. 不都合はなにも生じなかった

 マルチタスクをしないことで失ったものは、何もない。プロジェクトの進行が滞ることはなかった。電話に出なくても、メールを瞬時に返信しなくても、私に腹を立てる人はいなかった。

 それなのに、人はマルチタスクをやめられないから驚きである。不都合がないのなら、やめてしまえばいいのに。

 思うにそれは、私たちの脳が、外部の現実世界よりも格段に速く動いているからではないだろうか。1分間に口頭で話せる語数より、聞いて処理できる語数のほうがずっと多い。やるべきことが山積みなら、1秒でも無駄にしたくない。だから電話で相手の話を聞いているあいだに、「脳の余っている部分」を使ってフィレンツェ旅行の予約をしよう、という具合だ。

 しかし私たちは気づいていない。脳のそうした部分は、雰囲気を察知したり、聞いている内容を頭の中で掘り下げたり、創造性を発揮したり、周囲の状況を把握することに使われている。つまり「余っている」わけではないのだ。こうしたことを犠牲にして意識を他へと振り向けると、マイナスの結果を生む。

 ではどうすれば、私たちはマルチタスクの誘惑に抵抗できるのか。