「コンピュータの会社」から「ソリューション・サービスの会社」へと脱皮したIBM。戦略転換の事例として有名だが、IBMにしても1990年代の初めには深刻な危機に陥っている。60年代から80年代にかけて、”Big Blue”と呼ばれたIBMの好業績は半端ではなかった。前回、IT業界を例にとって、絶頂期のマイクロソフトのぼろ儲けぶりは、現在のグーグルやアップルの比ではなかったという話をしたが、往時のIBMはそれにターボをかけたようなものだった。

 1964年に市場化された「システム360」の大成功で、IBMは汎用メインフレームの市場を独占した。当時のアメリカには、IBM以外にも、ユニバック、バローズ、RCA、CDCなどメインフレーム・コンピュータの競合企業が7社あった。しかし、いずれもIBMと比べれば吹けば飛ぶような存在で、「IBMと7人の小人」と言われていた。

 栄耀栄華を極めたIBMも、ダウンサイジングとオープン化のメガトレンドについていけず、90年代には急速な業績低迷の憂き目にあった。93年には、当時のアメリカ企業としては史上最悪の50億ドル近い損失を出すに至る。

 ことここに及んで、IT業界外のナビスコから引き抜かれたCEO、ルイス・ガースナーがようやく登場する。ガースナーは独自のシステムとOSで顧客を囲い込む戦略を否定し、オープンシステムに基づくソリューション・サービス事業へと戦略を転換する。ソフトウェア事業についても大胆な路線転換を進め、自社でアプリケーション・パッケージを開発せず、ミドルウェアに集中した。各領域に強いアプリケーションのベンダーとパートナーシップを組み、自社はシステム・インテグレーターに特化してワンストップ・サービスを企業顧客に提供するという現在への戦略へとシフトした。

 業界や規模に違いはあるが、『フラガール』の常磐興産、日産、IBMの3社の企業変革に共通しているのは、戦略転換に先行していずれも「にっちもさっちも行かない」という業績悪化を、しかも長期にわたって経験しているということだ。前回も述べたように、「変化を先取りした戦略転換」というのは、かけ声として言うのは簡単であるけれども、現実にはほとんど不可能だと思った方がよい。

 実際のところ、深刻な業績悪化に長期的に陥っても、それでも結局のところ変革を実現できずにそのまま破綻してしまう企業のほうがむしろずっと多い。2012年、ついにチャプター11の適用を申請して破産したコダックは、数限りない例の一つだ。今世紀に入った時点で、銀塩フィルムのカメラがデジタルカメラに代替されていくことは、火を見るよりも明らかなトレンドだった。事実として、コダックの業績は90年代終わりから一貫して左肩上がりの状況が続いていた。それでも変革に失敗したのである。

 次回は、改めて戦略ストーリーの書き換えを通じた企業変革がなぜ難しいのか、その本質的な理由を改めて考えることにする。
 

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