それぞれが思う現実を長々と話すのではなく、何が実現されるべきかに焦点を当てるように言ったとき、グループは驚くほど協力し合った。以来、戦略に関する私の仕事において、この問いは最も重要なものとなっている。
なぜ、それほど重要なのか。主な理由は、幹部たちが自分自身の考えから一歩離れ、その正当性を疑ってみる余地が生まれるからだ。
仮にあなたが、ある問題解決のための方法論が間違っていると思っているとする。誰かに「その方法は正しいだろうか」と尋ねられたら、あなたは「正しくない」と答え、自分の答えを全力で弁護しようとするだろう。しかし、「その方法論がうまく機能するためには、何が実現されるべきか」と尋ねられたら、考え方の枠組みが変わる。だれもその方法論の是非をあなた聞いているわけではない。ただ、方法論が機能するためには何が実現されるべきかを尋ねているだけだ。このわずかな違いにより人々は自説から一歩離れ、新たな考察を始めることになる。そして、新たな学びの機会を手にするのである。
そうなると、より多くの戦略オプションの寿命が延び、これまでより深く吟味されるようになる。頑固な経営幹部が、出てきたばかりの戦略オプションを「上手くいくはずがない」と感じ、切り捨ててしまうのはよくあることだ。すると、「あなたが現実だと思うことを理由に、私のオプションをあっさりと抹殺するなら、今度は私があなたの支持するオプションに対して同じことをする」という応酬になり、両者はすぐに対立関係に陥る。
しかし、実現されるべきことが実はそうではないと明らかになるまで、戦略オプションが生き永らえるとしたらどうだろう。誰かがゆりかごの中で抹殺したのではなく、合意された条件を満たさなかったから却下されたことになる。これは偏見によるものではなく吟味がなされた結果だ。周知のように、偏見は可能性の芽を摘み、吟味は可能性の発見につながる。
先週、私は前述の炭鉱会社のCEO兼会長に出くわした。彼はラインランダーの会議室で、幹部グループが1日でどれほど進歩したかをはっきりと覚えていると言った。私はこう応えた。その日は私も、戦略策定における最も重要な問いを発見したのだと。